「勇を失ったな…」
出典元、原作・岸本斉史、作画・大久保彰の漫画「サムライ8 八丸伝」より。達麻(だるま)師匠のセリフ。
ジャンプで連載していた世紀のご配慮漫画「サムライ8 八丸伝」は、連載当初から押し寄せる読者からの「どういうことだってばよ?」の声をものともせずに元気に連載を続けていたが、5巻をもって無事打ち切りとなった。ご配慮漫画とはどういう事かと言うと、原作の岸本斉史が世界的大ヒット作「ナルト」の作者であり、「ナルト」完結後、満を持して筆を執った次期世界的ヒット作が「サムライ8」の予定だったからである。一人の漫画家も、あまりに高いところまで行ってしまうと編集者すら「へへぇ、ありがたく!」と原稿を受け取る立場になってしまう。つまり、面白くなかったのに、編集がなかなか打ち切りに出来ず、やたらと長く続いた漫画だった。一つのヒット作を世に出した漫画家が、次回作もヒットを飛ばせるとは限らないのである。
そしてなにが「どういうことだってばよ?」となったかと言えば、この「サムライ8 八丸伝」で打ち出した世界観とバトル設定があまりにも奇抜だったのである。シンプルで分かりやすくスカっと爽快、……とはほど遠い複雑怪奇な、読者に熟考を強要する設定と世界観だった。別にそれらは作り込まれていなくて適当という訳でもなく、むしろ細部まで作り込まれていたのだが、おそらくそれが理由で読者からの作品の印象がこれに帰結してしまったのだろう。すなわち、「説明が長い」。
1話の時点で説明ゼリフの多さは言われていたが、2話になっても3話になっても次々と追加される新たな設定に達磨師匠の説明が止まらない。そしてとにかく内容が複雑なのである。「サムライ8」はタイトルの通り侍ものではあるのだが、難儀な事に侍”SF”ものだった。サムライたちはサイボーグの体を持ち、星をまたいだ移動をする超・超人バトルであり、そして一番やっかいなのが簡単には死なない点である。どういう事か……。サムライの体は、単に斬られても首を刎ねられても死なないのである。サムライが死ぬ時は”勇を失う時”、つまり達磨師匠のセリフで言うと、
「勇を失ったな…」
その時にサムライは心を折られ、死ぬのである。理屈は分かるが……、これがおそらく読者の共感を置いてけぼりにする一番の要因だったのだろう。バトル漫画はいくらそういう設定だと言われても、人間の形をしていれば自分の体と共感する部分はある。体を真っ二つにされても平気平気、首を落とされながら一本取って「勝ったぜ!」とかやられても、素直に喜べるものではない。それにあまりにも不死の体だと、どれだけやられたらまずいのかが分からない。そして読者が頭を抱えて「つまり……どういうことだってばよ?」と言えばそこに、「それはな、つまり……」とやっぱり始まる長い説明。ううむ、限度というものが、限度というものがあるのだよ、こだわりには。
「ナルト」の作者の最新作という事で「サムライ8」は初めから異常なほどの期待とともにスタートした。「忍者の次は侍だ」とばかりに編集長は始まる前からこれは大作だと吹聴して回り、新連載では異例の特大宣伝を飛ばした。初版発行数は新作としては異例なほど大量に刷り、「これいっぱい発注しないと鬼滅も数渡さないぞ」と書店を脅して大プッシュさせた。しかしコミックが出る頃にはもう、つまらない作品と読者に認識されていたので、当然の事ながら盛大に爆死した。「サムライ8」は欧米の「ナルト」の狂信的なファンからも熱い視線を送られていたが、それらのフォローもなかなか苦しかった。誰もが知る通り、漫画は内容である。作者の格でもないし、宣伝次第ですらない。
結果として5巻打ち切りとなったが、「サムライ8」が居座った時期のジャンプは、壮大な漫画界の悲劇と言えるだろう。なにせ、10話ぐらいでもうみんな投げた漫画が、43話も続いたのである。もちろん、その他の連載陣はジャンプのアンケート至上主義のルールの中、熾烈なサバイバル競走を繰り広げていた。その横で明らかに特例で連載を続けるよく分からない漫画……。「まだ終わらないの?」、「岸影様は切れないんだよw」の声もたくさん上がっていた。あの不人気っぷりを当事者たちが知らなかったはずもない。岸本斉史だけが悪いとは言わないが、結果として漫画の内容だけで勝負しなかった姿勢もまた、達磨師匠のセリフで総括されてしまうだろう。
「勇を失ったな…」