「ファイアパンチの作者」
出典元、漫画について語る人たちの間でたびたび使われる言い回しより。指している対象者はそのまま、「ファイアパンチの作者」の藤本タツキ。
「でもファイアパンチの作者だから~」といった風に用いられる。「ファイアパンチの作者だから~この先の展開が信用ならない」、「ファイアパンチの作者だから~このキャラに見せ場があるか分からない」などの使われ方である。酷い話だ。
漫画「ファイアパンチ」は「少年ジャンプ+」で連載され、既に完結している作品である。作者の藤本タツキは現在、週刊少年ジャンプで「チェンソーマン」を連載しているが、その連載開始時にも多くの読者が「ファイアパンチ」の事を意識してしまい、「ファイアパンチの作者だしなぁ……」というリアクションを見せていた。しかし「チェンソーマン」は、比較的地に足の着いたストーリー展開を見せ、次第に「編集者がちゃんと手綱握れてるな!」と言われるまでになったのである。そこまで言われる「ファイアパンチ」とは。はい、ネタバレ注意――。
「ファイアパンチ」は”先の展開が読めない”事に定評のあった作品である。普通、”展開が読めない”というのは良い意味で使われるのだが、しかし「ファイアパンチ」においては「意味が分からない」「これまでのはなんだったの?」「もうめちゃくちゃ……」といった感想に繋がってしまっていた。ストーリー漫画なので、読者がそんな感想になるという事は話の展開がぐちゃぐちゃになってしまっている事になるのだが、……実際に「ファイアパンチ」の話がぐちゃぐちゃな事になっているのだから始末が悪い。なんか凄い作品。そう、なんか凄い作品なのである。しかし決してつまらない訳ではない。
「ファイアパンチ」はつまらない作品ではないのである。”面白い”という要素を”印象に残る”という要素が強烈に上書きしてしまうため、総括した感想がどうしても変化球になってしまうだけで……。「ある意味名作」だの「人を選ぶけど自分は好き」だの、漫画好きとしてこれを諸手を挙げて褒めてしまっては自分の感性が疑われる危険性を帯びている作品、というか……。グロ表現という意味で普通に15禁ぐらいはあるのかもしれないが、悲しいかな本質はそこではない。
ストーリーの流れもそうだし、設定やフラグに関しても予想外の展開を見せまくるため、読者の頭脳と感情が追い付かずに混乱してしまう。ひと言で表すなら「セオリー通りには行かない」という作り方なのだろうが、度が過ぎているというか、「そうはならんやろ」といった展開に普通になったりするのである。打ち切り間際の暴走みたいな展開が定期的に訪れている感じだろうか……。要素を挙げてみよう。
「ファンタジーかと思ったら急に映画撮影が始まった」、「主人公がギャグっぽいミスで大量虐殺」、「なにかあると思わせたキャラがなにもなく退場」、「フラグを立てておいて全く回収しない考察勢殺し」、「ストーリーが定期的に変な方向に折れる上に主人公の意識も目的もふわっふわなので誰に共感していいか分からなくなる」、「再生能力があります……って火の鳥未来編レベルなのかよ」、「最終的にサン(太陽)とルナ(月)が出会って終わるけどこの二人サンでもルナでもねェ!」、というところだろうか。はぁ……。
つまり藤本タツキは読者からの”まともな話を作る”という信用を失った状態で「チェンソーマン」を開始しているのである。なので「チェンソーマン」の展開がぶっ飛びそうになると、「やっぱりファイアパンチの作者だから……」「作者の中のファイアパンチが抑え切れない」などと、言われてしまうのである。
本ページの情報は2023年3月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。