「”なんという男だ――”」
出典元、原作:夢枕獏、作画:谷口ジローの漫画「神々の山嶺」2巻より。アン・ツェリンの心のセリフ。
映画や漫画など、創作物で燃えるシチュエーションというものはいくつかあるが、その最上位に位置するのが「助けるシーン」ではないだろうか。それは別に主人公が「やられるっ!」と思った次の瞬間に敵の攻撃が弾かれ、見上げると味方が立っていた場合に限らない。単純に今助けてくれた、以外にも、いつか必ず助けに行く事を約束したり、勝てる見込みのない相手を前にして味方に付いてくれたりなど、バリエーションは様々で、基本的にどれもとても熱いものである。助けた側が恩に着せない事も重要な点か。
「神々の山嶺」は、登山を題材にした作品である。「かみがみのいただき」と読む。夢枕獏の原作小説があり、その漫画化を谷口ジローが手掛けた。食事シーンがネタにされがちな作品だが、そもそも登山漫画としてかなり有名で、名作として名高い。純粋に谷口ジローの画力が素晴らしく、山脈の景色がとても綺麗だし、暑苦しい男たちが登場するこの作品は谷口ジローの作風ととてもマッチしている。今回のシーンは、チームを組んでエヴェレストを登っている最中の出来事だった。シェルパという、登山を補助する職業をしているネパール人アン・ツェリンが、チームのメンバーである主人公の羽生丈二(はぶ じょうじ)と共に登山ルートを作っている時である。アン・ツェリンが20メートル落下してしまい、一人で歩けないほどの重傷を負ってしまった。標高8000メートル台の話である。通常なら救出など出来ず、見捨てられても仕方のない状況と言えた。しかし羽生が、アン・ツェリンを背負って自分の体に縛り付け、一人でも大変なルートをベースキャンプまで戻り、助けたのである。もちろん羽生にとってもギリギリである。諦めかけていたアン・ツェリンは羽生の背中で涙して思った。
「”なんという男だ――”」
と。羽生はエヴェレストを登る様な屈強な男とはいえ、場所もそのエヴェレストのしかも頂上付近だし、背負う相手も屈強な男である。誰もが出来る事ではないとんでもない事をやってのけた。そしてこの事故も、大きな事件ではあるのだが当事者がさっさと解決してしまったため、大して話題にはならなかった。しかし当然、助けられたアン・ツェリンはこの恩を忘れる事はない。その後、アン・ツェリンの伝手で羽生がネパールに滞在しながらシェルパを出来るように手を回してくれたり、命がけの無許可登山を支援したりと、羽生のその後の生き方が拓けて来る一件となった。それは単に命の恩人というだけでなく、登山家同士の共感や歳の離れた男同士の友情というものも感じられ、背景を読むとグッと来る熱い関係を魅せている。
なお、この作品は2016年に「エヴェレスト 神々の山嶺」という名前で映画化されたが、この部分はエピソードごとカットされたので、映画を観てもこのシーンは無い。