「まず自分を疑いなさい」
出典元、不詳。教訓の一つ。
仕事などで共同作業をしている場合、たまにミスというものが発生する。あ、これおかしいぞ、と思った時、瞬間的に「あの人がやっちゃったな」と思うとする。その時が危険である。
人には「思い込み」というものがある。実際表には出さなくても、「あーあー、あの人やっちゃった、やっちゃった」という思いが頭を支配すると、「どうやって伝えようかな?」、「上司に報告した方がいいかな?」などと自分が上になったつもりになって、視野が狭くなるのである。視野が狭くなるとどうなるかというと、そのミスが本当にその特定の人がやってしまったかどうかの精査が行われなくなる。つまり”自分がやってしまっている可能性”を早いうちから除外してしまっている、という事である。危険、もしくは恥ずかしい危険性がある。これを「○○さん、これ間違ってますよ」と指摘した時、「え、これあなたのこれが間違ってるんじゃないの?」と返されてそれが正しかったりした場合、可愛さ余って憎さ百倍ならぬ、「得意さ余って恥ずかしさ百倍」である。
これは、ミスとは言わずとも、ちょくちょく数値や個数に誤差が発生する仕事をしているならば、とりあえず念頭に置いておいた方がいい考え方だろう。つまり、「まず自分を疑う」。自分で自分をつるし上げたところでなんのダメージもない。行動としては再チェックを行うだけである。これが上司でも部下でも、他人、外に出てしまってから自分のミスだと気付くと恥ずかしいったらない。何度も繰り返していたら信用も失ってしまう。しかし、普通の人ならば繰り返していくうちに早い段階で気を付ける様になるだろう。教訓、
「まず自分を疑いなさい」。
特定の誰かのセリフという訳でもないし、誰かしらが言った事のあるセリフだろう。しかしこれは大いなる教訓である。特にルーチンワークになっていて、もう手順は頭に入っているし忘れるはずがない、と思い込んでいる人ほど危ない。通常運行の時は大丈夫だろうが、体調が悪かったり、なにか不安な事があって気が散っていたりした時は危ない。非常に危ない。それでおかしなところを発見したら、あ、○○さん、ではない。まず自分を疑うのだ。結果がおかしい、手順を始めから確認、どこか飛ばしてしまったのではないか、他の人に声を掛けるという事は、その人の時間を取るという事だ。その人も「ミスかな?」と思って再確認をする手間を消費するだろう。それがその人ではなく、自分のポカだったりしたら本当に恥ずかしい。
だからこれは、頭の条件反射的な位置に持っていたほうがいい心掛けである。あれ、おかしいぞ、○○さんミスったかな? っととと、まず自分の作業を再確認だ、指摘して違っていたら恥ずかしい。この考え方である。恥ずかしい目に遭わないためなら、人は結構頑張れるものである。不思議な事に。