「船頭多くして船山に上る」
出典元、古くからあることわざより。まっこと真実なり。
元々このことわざを知っている人は別として、知らなかったとしてもパッと聞いてなんとなく意味を察する事の出来る事に定評のあることわざ。知らない場合の察し率は大人で80%ぐらいだろうか。子どもだと、年齢で考えると高1ぐらいで察する事が出来る。なので中3だと「船が山を!?」となる。たぶん。あとここでコンスタンティノープルとかヴィンランド・サガが頭をかすめたりすると大人でも子どもでも理解の妨げになり、かつ話の主旨が濁るのでややこしい。
船頭というのは船長の事なので、つまり船長がたくさんいれば船すら山を登れるのか、という話になる。そうなると船のサイズが問題となり、渡し船レベルのものを頭に浮かべるとそれはそれで船長が20人ぐらいいれば頑張って運べてしまいそうな気がする。船って結構船底が滑りやすそうだし。しかしそうなるとマンパワーとしては別に船長でなくてもいい訳で、人数を集めれば船も山に上れるのではないか、いや実際可能でしょう、っていうか重機使えよ、という話になる。まあそういう話ではないんですけどね!
意味、
一そうの船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、指図する人ばかりが増えて物事が見当違いの方向に進んだり、うまく運ばないことをいう。
デスヨネー。
プロジェクトでリーダーが多い場合に話が上手くまとまったためしがない。実際はリーダーを決めるものの、声の大きい人というものは居るものである。会社の重鎮だったり、経営者の身内だったり、リーダーのお気に入りだったりである。もちろん意見は内容が大事なので貴重なものは聞くべきだが、それがあっちからもこっちからも、却下しにくい威力で放たれてしまうと、どうにもならなくなる。まとまるものもまとまらず、結局それはリーダーがたくさんいる状態と同じになってしまうのである。社会人に伝わりやすいだろうと思われるのは、そういった場面に往々にして出会うからだろうか。
そして学生だとそういうのはなかなか分からないだろうな、という考えになるのは、学校はしっかりそこをきっちりさせていたからなのかもしれない。つまりクラスが先生の言う事を聞くというのは、指揮系統が確立しているという事であり、生徒主導の催しであってもそこに「リーダーを決める」という手順は入っている。これにより「船頭多くして」という状態にはならず、例外的な声の大きさを持つ人もあまり存在せず、話はまとまりやすかった。そう考えると学校も案外、よく出来ていたんだな
と思うと同時に、社会人になって役立つ仕組みを学校で習っているのに、いざ社会人になったら会社の方が台無しにする要素満載で邪魔して来る、という事実がシュール過ぎて、なんというか、……失笑を禁じ得ない。