「それ以上いけない」
出典元、原作・久住昌之、作画・谷口ジローの漫画「孤独のグルメ」1巻より。定食屋の中国人店員のセリフ。
このセリフが放たれたのは、原作漫画第12話「東京都板橋区大山町のハンバーグ・ランチ」の回。「孤独のグルメ」でも異色の一話である。なにせ店員と揉めた上にアクションシーンまである。
日常生活でたま~に遭遇する嫌な存在の中に、”店員が叱られている”というものがある。店主などがアルバイト店員を叱っている。それは必要な指示なのかもしれないが、飲食店でやられると美味しい料理も美味しく楽しめない。そういう事を客の見えるところでやってはいけないという、常識レベルのマナーがあるはずだが、個人店などは店主がルールなので、一般的なルールなど知らないし守る気もない。そしてそういう店に限って歯止めが利かない。……それをまさに漫画にしたのが「孤独のグルメ」のこの回である。
この小さな定食屋では、店主が中国人店員をひたすら叱る光景が描かれる。コップに泡が付いていた、などは確かに気を付けてもらいたいが、店主からの説教中に会計に立った客の対応をしたら怒られるのでは怒られた側もどうしようもない。もちろんそれを至近距離で聞かされて、その状況で食事をしなければならない客にとっては堪らない。食事というものは、……おっと。そう、そこで主人公の井之頭五郎(いのがしら ごろう)が、席を立って店主に物申すのである。
「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で なんというか 救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……」
怖そうな店主に臆する事もなく、五郎は言うのである。普段、淡々としたエピソードを重ね、特に主軸たるストーリーなどないこの作品の、ある意味代表するセリフがこれかもしれない。しかしまあ「孤独のグルメ」を代表するセリフであって、
食を愛する人すべてに言えるセリフでは別にないな「独りで静かで」のところが
という位置付けに落ち着くセリフでもある。なにせみんなでワイワイ賑やかにというのも食の楽しみ方の一つなのだから。……まあ、それはそれとして。文句を言われた店主は怒ってしまい出ていけと五郎を突き飛ばす。そこで五郎はまさかのアームロックを店主にかますのである。殴れとは言わないが関節技……。関節技は決まってしまうと勝負は付いてしまうので、五郎の瞬殺となったが、その異様な技は読者にとても大きなインパクトを与える事となった。アームロックと聞くと「孤独のグルメ」を連想する人も多いし、その特徴的な体勢が面白かったのか色々なキャラクターでアームロックをかけている二次創作などもたくさん見られる。「アームロック」でGoogle画像検索すると一件目がこのシーンである。どうしてこうなった。
しかし場面としてはケンカであり、腕を決めてしまったものの誰かが収めなくてはならない。そこで当の叱られていた中国人店員が言うのである。
「それ以上いけない」
なぜそこで、そう、悲しそうな目をして冷静に言えるのか。ある意味、その彼のために五郎は怒ってくれたのに。もしや中国人の彼は武術の心得があり、いざとなれば実力行使出来る力があったのではないか、と深読みさせるぐらい、静かな静止だった。場面はそこで切り替わるが、この素朴なひと言もまた、読者に大きなインパクトを与えたのである……。ただの静止のひと言だが、このちょっとカタコトな言い方がいい味を出している、のか? このセリフは地味に有名になってしまい、ネットスラングとしてたまに使われたりしているのである。およそ熱くなりすぎた人がいた時、それはそっと差し挟まれる。「それ以上いけない」。言われた側はうるせぇと思うだけか、もしくは「孤独のグルメ」を知っていて思わず力が抜けるかの、どちらかである。
本ページの情報は2023年3月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。