「ガラケー」
出典元、昔の折り畳みケータイの通称より。ガラパゴス諸島への熱い風評被害。
「ガラケー」は、スマホが登場する前に使われていた携帯電話の事である。日本限定。まあ別になくなった訳ではないので過去形でもないのだが、しかしなぜ「ガラケー」なんていう意味の分からない通称で呼ばれているのか。「ガラ」はガラパゴス諸島から来ているが、そんな事言われても困るし説明が必要になる。
ガラパゴス諸島はアフリカ大陸の南東に浮かんでいる大きな島……ではなく、というかそれはマダガスカル島で、ガラパゴス諸島は南アメリカ大陸の北西に散らばっている諸島である。国としてはエクアドル共和国。ガラパゴス諸島の生物は、進化論の進化ルートを完全に無視した意味不明な生態系を持っているらしく、そこから世界の流行りとか流れを無視した自分らだけ独自の進化を遂げてしまう迷惑なやつの状態をガラパゴス化している、と呼んだ。つまり日本の折り畳みケータイの進化の突き進み方がまさに唯我独尊過ぎて、「日本だけガラパゴス化してるやん」と言われた先が、自分たちでも自虐の念を込めてガラパゴス携帯と呼ぶ様になった、「ガラケー」という名前の生まれた経緯だった。
ガラパゴス諸島のおかしな進化というのは動物番組で見た事がある人もいるかと思うが、ガラパゴスゾウガメの画像を見ると、確かにちょっと地球のルールを勘違いしてしまった感があるので、納得力がある。どっちかというと地球よりモンハン世界に向いている感じがあるし、生物学的に変だと言われているのならそうなのだろう。そういった存在自体は興味深いし目を惹くが、たぶん間近で見るとドン引きするやつなので、つまり「ガラケー」も世界からそういう見られ方をしていたと思われる。当時のワンセグとか、おサイフケータイとか、赤外線通信は、日本の最新技術を用いた”日本でしか使われないテクノロジー”として、海外から白い目で見られていたのだろう。
しかしご存じの通り、今現在ケータイの市場はスマホに席巻されており、「ガラケー」は細々と生き残るだけの存在となっている。以下をウィキペディアの「ガラパゴス化」の説明より引用する。
日本で生まれたビジネス用語のひとつで、孤立した環境(日本市場)で「最適化」が著しく進行すると、エリア外との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、外部(外国)から適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の高い種(製品・技術)が導入されると最終的に淘汰される危険に陥るという、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた警句である。
黒船的な。いや、アップル的な。アマゾン的な。グーグル的にも。……そう考えると日本のいつものパターンと言えるのかもしれない。「ガラケー」は急速に需要が落ちて来たため、新規機種が開発終了に……なるところだった。が、そこまではなっておらず、今も一応折り畳みケータイとしてフィーチャーフォンとかいうものとごっちゃになって生き残っている。それは「すまあとふぉんとかいうのはよくわからん!」という頑固親父が多かったせいもあるが、パソコンみたいな性能になってしまったスマホへの反動で、「もっとシンプルでいい、なんなら形も前のガラケーでいい」という需要があり、それに開発者がちゃんと気付いたからだろう。
実は「ガラケー」がこうして生き残ってくれた事には別の意味でちょっとだけ利点があり、それはフィクション内での使われ方だったりする。「ガラケー」からスマホへの移り変わりが余りにも早かったせいで、ここ数年のフィクションもそれに追い着けずドラマでもアニメでも創作作品内でどうしても「ガラケー」を使ったシーンが登場してしまう。しかしケータイというものが完全にスマホに移行しなかったおかげで、例えばちょっと前のドラマで「ガラケー」を使っていてもそれほど違和感がない。ビシッとしたスーツを着た一流企業のビジネスマンが、急ぎの連絡に公衆電話を使っていたらドン引きするが、「ガラケー」をパカッと開いて電話を掛けていてもまあ、スマホじゃなくても受け入れられる土壌はまだ残っている、という事である。これが完全にスマホに置き換わっていたら、「ガラケー」をパカッと開いた時点で「古っ!」というリアクションをされる訳で、本当にそうならなくて良かった。岡部倫太郎(おかべ りんたろう)もひと安心である。