「毒にも薬にもならない」
出典元、日本に古来よりあることわざより。主に悪い意味で使われる。
なんだろうか、小説、漫画、ドラマ、映画など、”感動を求める”と言っては大げさだが、そういった創作作品を観る時には心を揺さぶられるなにかを期待してしまうのは人として当然の事と言っていいだろう。そして選んだのは自分なのに、読み進めるうちに、観続けるうちに、「なんだろこれ、なんだろこれ」となって来る作品が多い事も確かである。あえて分類するなら、名作、秀作、佳作、凡作、駄作、でいう「凡作」である。途中でだいたい分かってきてしまうところが罪深い。ああ、この作品、このままずっとこの調子で行くんだろうな、なんだろうこれは、ああ、
「毒にも薬にもならない」
ってやつだ。なんの感動ももたらさないし、自分になんの影響も与えない。つまり時間の無駄である。
別に、とにかく心を揺さぶられる事を望むばかりが物語観賞とは言わない。人間関係がドロドロ過ぎてこちらが憂鬱な気分になってしまったり、表現が過激過ぎて「うわぁ……」となってしまう事もある。そこは個人の好みも入って来るので完全な正解というものは無いが、しかし「毒にも薬にもならない」作品が世に溢れている事は確かである。傾向として少人数で作る小説、漫画に多いが、最近では大人数で出資者を募ってまで作っている映画などでも、その出資者の声を聞きすぎて監督の作家性が出せず、結局「毒にも薬にもならない」ものが出来上がってしまう事態も多々、見受けられる。悲しい現実であるが、そちらは情状酌量の余地がある。
あえて指定してしまうと小説だろうか。漫画はある程度編集者の意見が入り、共同制作と言われる事もあるぐらいである。担当編集者だけでなく、他の編集者も見ていれば、凄くおかしな展開に入り込んだストーリーを、ある程度修正に動く歯止めは利くだろう。なにしろパッと読めるのだから。問題はやはり小説で、こんな用語があるかは知らないが「雰囲気系」の小説、を書かれると、なんとなく話が進んで、なんとなく波があり、ふわっと物語が終わる。どこかのシーンのなにかの行動やセリフが心に残る事もあるが、「なんだろこれ、なんだろこれ」のまま終わってしまう小説も多いのである。そしてそこには作者からの、「受け取り方は読者それぞれにありますから」という言い訳が成り立ってしまう。
憶測で言うが、小説家も多少名前が売れてくると、編集者より立場が上になって、なかなかダメ出ししにくくなる様になるのだろう。散々売れてもう書かなくても暮らしていけるのに、出版社としては書いて欲しいと頼み込んでいる場合に、そういう力関係になると思われる。そして出版社、いや編集者が「面白くない事もないけど、やや平凡な作品だなぁ……、でも言えないなぁ」と思っているものを世に出してしまうと、つまり「毒にも薬にもならない」小説が世に出てしまうのである。当然、それを買って読んだ読者の感想も良く言えば「毒にも薬にもならない」、悪く言えば「あ~時間の無駄だった」である。
”かける事の、読んだ人の数”なので、作家並びに出版社としては、そういう作品をぜひ、出版の前段階で淘汰して欲しいものである。特に名の売れている作家の「雰囲気系」小説にその例が多い。その作家の熱烈なファンは、実際はそれほど面白く感じなくても、勝手に作者も考えていなかった様なところを読み取って想像して、それをレビューなどで絶賛してしまったりするのが、それら「雰囲気系」小説の罪深いところである。
つまらないものはつまらないでいい。