「神は細部に宿る」
出典元、古くから使われている格言。フランスの作家ギュスターヴ・フローベールの言葉とされるが、諸説ある。
しかしそれは、一旦置いといて。
生活している中でたまに発生する、”とある現象”について考えてみたい。どういう現象かと言うと、ぐちゃぐちゃっと説明するなら、
「面白い事を考え付いて実行してみた。それ自体は上手く行ったが、メインの仕組みよりもなんとなく付け加えたおまけの方が圧倒的に好評だった」
という現象である。ここの肝は、メインの部分もそれなりに成功している点である。上手く行かなかったのにおまけのおかげで助かった、とかではない。なので、ストレートに受け止めるなら成功して良かった、なのだが、おまけの方が圧倒的に好評となってしまうとどうしても諸手を挙げて喜びにくい。もちろん、柱となる仕組みと組み合わせてこそのおまけであるのだが、全体を構築した人からすると「ええぇ、そっち?」という気持ちになってしまうのである。誰でも遭遇するタイプのものではないが、企画を立案したり、クリエイティブな活動をしている人には少しぐらい思い当たる事があるかもしれない。例えがないと伝わりにくい話なので例を出してみる。
コンサートで歌手は歌を歌うが、合間にMCと言ってフリートークを行う。これは元々は歌いっぱなしだと疲れるとか、楽器の都合や舞台の準備などのために作られたコーナーかと思われる。つまりあくまで時間稼ぎに、せっかくだから歌手に適当に話してもらって場を繋ごうという考えだったはずである。しかしそれが異様に人気になり、ファンからやたらと楽しみにされてしまい、「MCを聞くためにライブに行く」「MCがメインで歌がオマケ」などと言われたりする。ライブDVDにMCが入るのか、とたくさん問い合わせが来たら、歌手側としてはなんだそりゃと思ってしまうのは確かだろう。
それからプロ野球だろうか。近年は変わって来たが、昔はテレビ中継は巨人のみだった。読売の思惑として、巨人が主役でありスター選手が集まり人気を独占するのが狙いだったのだろう。それは概ね成功しているが、逆にテレビで試合を観られないチームのファンは、直接球場に行って応援するしかなくなってしまった。行ける範囲はどうしても限られるため、結果として地域密着度が異様に上がってしまったのである。「全国にたくさんいる、それなりに巨人が好きなファン」と、「ほぼその地方にしかいないが、ものすごく熱心な地方球団のファン」という対立構造である。しかしこれが、それはそれでプロ野球全体の盛り上がりに一役買うというまさかの展開になっている。巨人を売り出したい事をメインの思惑としていた読売にとって、これは想定外の要素だったろう。
誰でもあとから「それも狙ってたんですよ!」と言う事は出来るだろうが、「どう考えてもたまたまでしょ?」という要素もあちこちで見掛ける。それはつまり実際に企画者としても想定外だった訳で、しかし想定外だとしても問題がある訳ではないのだが、ではこの現象の名前はなにか、というのが今回の設問である。
「神は細部に宿る」がかなり近いとは思うが、近いだけでピッタシではないんだよなあ。