「分からない事があれば、すぐ調べるか知ってる人に聞くようにしなさい」
出典元、不詳。どこかの誰かがおばあちゃんから聞いた教えをネットに書いたものだったかもしれない。
ネット上では、「自分で調べるか」、「知ってる人に聞くか」が争点になりがちである。もちろん、知っている人に聞くのが手っ取り早いが、相手側の労力が発生してしまう。仕事上の事ならなおさら、相手の業務時間を削ってまで自分のために時間を使ってもらうので申し訳ない。どこまで自分で調べ、どこまで知ってる人に聞くかの線引きが重要である。しかし、今回の主旨はそこではない。
今自分が知らない情報をどうするか、それが重要なのだ。今はインターネットがある。昔の人は自分で調べるのに、役所へ行ったり図書館へ行ったりと大変だったのに、今はネットで済むので何倍も簡単だ。昔の人ですら「すぐ調べる」事を心掛けていたのに、今「知らない」を「知る」にするのに、労力がどうとか言っていてはいけないのだ。
もちろんその内容にも線引きはある。どうでもいいかな、という情報と、これはそこそこ大事だぞ、と思う情報がある。何でもかんでも調べないと気が済まないなら、時間がいくらあっても足りない。仕事の事、家の事、たまーにある事、頻繁にある事、なんかちょっと気になってるだけの事、とにかく線引き、切り分けが必要だ。しかしここでも文明の利器が生きてくる。例えば数か月に一回、必ず発生する手続きの方法を調べておく。これはスルー出来ない。そこで調べ、やり方を学び、手続きを終わらせる。ここで「よし覚えた、OK」にしてはいけない。記憶が薄らいでいかないならそれでいいが、人とは忘れるものだし、内容が細かいほど全て覚えてはいられないものである。そこでメモをする。この手続きはこういう方法を行った、この記入欄にはこれを書き込んだ、この項目は紛らわしいけど確認したらこっちだった。よし完成。パシャ。
撮影してしまうのである。携帯でもスマホでも、ややこしい手続きの書類を撮影しておいて、あ、半年後にまた来た、これどうやるんだっけ、という時に非っ常~~~に役に立つ。もちろんそういうのがない昔でも可能だった。ひたすらメモしておけばいいし、写真で取ればいいのだ。しかし昔の写真はコストも高かっただろうし、現像して取っておいて管理しておかなければならなかった。面倒くささは今の比ではないだろう。今なら、何でもかんでも撮ってしまえばいい。大抵はスマホに収まるし、さらにセキュリティのきちんとしているクラウドなどにしまっておき、インデックスを付けて整理してしまっておけば完璧だ。定期バックアップもすればさらにいい。
つまり大事なことは、分からない事で重要なものがあったら、調べるか聞くかしてすぐにそれを調べ上げ、まとめ、記録し、同じ事を二度調べない事。聞くと言ったって例えばサービスについて聞くならそれは客としての権利でもある。フリーダイヤルで質問出来て、専門のオペレーターが詳しく教えてくれるならそれは利用すべきだろう。そのコストもそのサービス料に乗っかっているのだから。たまに人に聞く事に異常に拒絶反応を示す人がいるが、「そんなのサポートにとっとと聞いてしまえばいい」し、同僚に聞くのでも「今時間大丈夫ですか?」を入れればマナーは守られるのである。
分からない事があれば、すぐ調べるか知ってる人に聞いて、それを記録し、次同じ事があった時にすぐ解決出来るようにしておく。これが重要である。