「こら。こんなところで勉強すんな」
出典元、不詳。場所はバイト先の休憩室だったらしい。
どういう事かと言うと、バイトの学生が自分のシフト終了後、休憩室で宿題だかの勉強をしていた。その際、社員から言われたセリフである。別にどうという事もない。勉強するところじゃないぞ、と言っているのである。しかし学生はビックリした。つまり、”勉強しているのに怒られた事”にビックリしてしまったのである。
まあ、こういうものは家庭環境によるものだろう。普段家で勉強していて、親から偉いね偉いね言われていると、”勉強していれば偉い”が認識のトップに来てしまう。その彼も、バイト先であえて勉強する必要は無かったのかもしれないが、しているところを見られれば褒められると思ったのだろう。しかし怒られた。それでビックリしたのである。常識から言って、社員の言い分が正しい。怒られて当然である。その彼も、そんな事は知らなかっただろうが、そこで少し社会というものを知れただろう。しかし問題ない。そういう常識があるという事を、注意されたその時点で覚える事が出来たのだから。
たまに、家庭での教育が少し極端で、外で非常識な行動に出てしまうという事象が見受けられる。つまり親の教育知識の不足によるものである。自分の子どもは可愛い、頑張ってれば褒めてあげる。しかしそれでいついかなる時でも勉強していれば偉い、と認識させてしまったのではよろしくない。TPOをわきまえろ、というところであり、そういう失敗例である。
もう少しどぎつい例で言うと、家庭内で甘いお菓子をほとんど与えないで小学校低学年ぐらいまで育った子どもがいた。それがその家の家庭方針だった。それで良いと思って、母親は育てて来た。しかし子どもというものは甘い物が大好きだ。欲求というものは溜まり過ぎれば破裂するものである。友達の家に遊びに行き、甘いお菓子に甘いジュースが出され、初めて味わった時、あまりの衝撃に周りがドン引きするぐらいの勢いで次々と食い散らかしてしまったらしい。さもありなんである。教育とは、押さえ込む事ばかりではない。欲求のはけ口も必要だし、抑え付けと解放のメリハリが必要である。
勉強について言えば、近年では喫茶店やファミレスで勉強したりも可能となっている。もちろん店側が禁止していたり、時間制限を設けていたりしたら従わなければならないが、いくらでもどうぞという店がある事も事実である。そういう店ほどコーヒーなどの基本料金が高く設定してある。つまり席料である。コメダ珈琲で時間で追い出された話など聞いた事がない。もちろん良識の範囲内だが、「ごゆっくりどうぞ」が本気の本気である店も普通に存在する。なので勉強、読書、企画立案などしたい場合は、そういうところも選択肢の一つである。が、まあ、学生なら図書館が妥当なところか。飲み物は出ないが静かでいいだろう。そして、「こら。こんなところで勉強すんな」なんて言われる事も決してない。