「甘過ぎなくて美味しい」
出典元、よく使われるグルメレポートのフレーズより。甘い物を食べた際に使用される。
主に対象にされるのはケーキや和菓子などだろうか。甘い物に対して使われる感想だが、それが「甘過ぎなくて美味しい」とはどういう事か。しかし今現在、視聴者から違和感もなく受け止められている感想でもある。いや、そのりくつは、……。
それはつまり「甘い」の中にも段階があって、ざっくりと「凄く甘い」、「普通に甘い」、「甘過ぎない」の3段階に分けられるからではないか。そして「甘過ぎない」がよく使われる様になったのは、そこに上品なイメージが付いてしまっている事が原因と思われる。例えばアメリカの砂糖どっぷりお菓子は「凄く甘い」レベルのものであり、お菓子は甘くすればいいんだろーHAHAHAというやや下品な甘さを連想させられる。普通の甘さは普通のままだが、反対側にある「甘過ぎない」は”甘過ぎが下品”の反動で自動的に上品な立ち位置になってしまった。なのでテレビでリポーターなどが褒めるために食べているものに対し、美味しいは当たり前、甘いも当たり前、では付加価値としてもうひと声、……そこに「甘過ぎない」という褒め言葉が当てはまる、のでは、ないだろうか。
そもそも甘い物を食べておきながら「甘過ぎない」が褒め言葉なのはおかしい。テレビに植え付けられた固定概念である。冷静に考えれば「とっても甘くて美味しい!」がストレートに好感を持たれる感想なのではないか。そこにあるのはおそらく、「カロリー控えめでヘルシー」というもう一つの要素があるのだろう。甘い物を食べておいて、カロリー控えめな事を示す甘さ控えめをクローズアップするとは。そこに違和感なりプライドの喪失などは無いのだろうか。甘い物に対する根源的なギルティを感じるが、テレビで紹介してもらった店が、手放しで褒めてくれているリポーターに「いやいや、甘さを控えてなんかいないよ、どっぷり甘くて美味しいはずだろ?」なんて言うはずがない。しかし言いにくいから正しいという事も、上品な印象だから正しいという事もない。
食べ物以外でこういった甘さの要素がピックアップされるのはコーヒーや紅茶だろうか。自動販売機やコンビニで売られている缶やボトルのコーヒーで言えば、大昔はブラックがそもそもなかった。甘いのは前提で、ミルク入りかミルクなしぐらいの区別しかなかったが、「ブラック無糖」が登場し、「微糖」やら「マックス」やらと種類も増えている。世の中には缶コーヒーなんて飲まないというドリップコーヒー原理主義の人もいるが、缶コーヒーの話も出来ないなんて寂しいやつらめ。そして紅茶になるとどうしても売上トップの「午後の紅茶」の名前が挙がるだろうが、あれこそ堂々と「甘さ控えめ」を売りにしているのだからタチが悪い。「午後の紅茶」が「甘さ控えめ」でトップを走ってくれたおかげで、それが正解だとばかりに「甘さどっぷり」が登場するのにかなりの時間を要した、……と思われる。子どもに聞いてみればいいのに。「甘さどっぷり」と「甘さ控えめ」の、どっちがいい? って。子どもがこの感想を言ったのなら潔く負けを認めよう。すなわち、
「甘過ぎなくて美味しい」
と。
食べ物に戻すと、「甘過ぎなくて美味しい」に関してはお菓子に使われる言葉であるが、甘い物と言えば果物もある。しかし果物に使うと違和感があるのは、もしかしたらこれは”調整の利く甘さ”に対して用いられる言葉だからなのかもしれない。桃を食べてどんなに甘かったとしても砂糖を倍入れたお菓子みたいに常軌を逸した甘さな事はないし、その果物の限界値というものがある。つまり「甘過ぎなくて美味しい」は、人工物に対してのみ使われる表現で、かつ、砂糖を添加するのではなくお上品な印象を添加する作用を持つ表現、と言えるかもしれない。