「甘くて美味しい」
出典元、よく使われるグルメレポートのフレーズより。”それ自体は甘くない物”を食べた際に使用される。
甘くない物が甘い、というのはとりあえず違和感のあるところだが、実際にテレビなどでかなりの頻度で使われている表現である。どういう物かと言うと、……えっと、とりあえず甘い物としてケーキやチョコレートを想像してもらってから、豚の生姜焼きの食レポを再生しよう。生姜焼きを食べて「脂が甘くて美味しい!」、こういう感想を聞いた事がないだろうか。ケーキやチョコとは明らかに違う味、「甘い物」ではないのに、感想は同じ「甘い」になっている。あるいはブリの刺身ではどうだろうか。ワサビ醤油を付けて、いただきます。「甘い!」。えぇ~……。しかし、そういう感想はすんなり受け入れられるだろう。理由はまあ、あまりにも使われすぎているから。
いや、では甘くないのかと言われるとそうでもなく、ウニやホタテがクリーミーな甘さを持っているなら共感出来るし、キャベツやニンジンの甘みが出ていると言われたら”あれは確かに甘いな”と思うだろう。しかしその食べ物の味のメインがそれでいいのか。「甘い」でいいのか。ウニもホタテもキャベツもニンジンも甘い食べ物という事でいいのだろうか。いいはずがない。要するに「甘くて美味しい」というフレーズが、長い事便利に使われ過ぎてしまったせいで、聴覚のゲシュタルト崩壊が起こってしまっているのだろう。それも、テレビの影響で日本中を巻き込んで。
さて、日常生活で考えると、人は食べるたびにいちいち食レポなどしない。せいぜい高級な外食を慎重に味わって食べる時ぐらいだろう。普通のご飯にいちいち「うまい!」、「うまい!」と言って食べるのは煉獄さんぐらいだし、感想は作ってくれた人に言うものであってテレビの向こうの視聴者に言うものではない。普通の人は。つまりこの、甘くない食べ物を「甘くて美味しい」と言ってしまう感想は、”なにか上手い事を言おう”、”ひねりの利いたコメントを出そう”という気持ちに上げ底された感想なのではないか。ありていに言えば「外向きの感想」。なので一般ピープルが日常で使う必要はないし、実際にあまり使われていない。
これは、同じ物を食べていたとしても環境によって感想が変わる、という世にも不思議な現象である。言い換えると味が変わらないのに観測者の有無により感想が変わる、という事か。……んん~? どこかで聞いた事のあるエピソードだが、グルメレポーターのアイデンティティはそれでいいのか。いや、それこそがグルメレポーターに求められる素質なのか……。自我(エゴ)より優先されるべきレスポンスか。うーん、これを「シュレディンガーのエゴ」と名付けよう。