「変に評論家気取りで客観的に冷静にしようとするから歪になるんだよな」
出典元、5chスレ「川越シェフが800円の水飲んでる画像ください。」より。どこかの誰かの書き込み。
抜粋したが全文は以下の通りである。
むしろ逆に冷静に客観的に評価する意味がないな
海外のレビューなんか全部「俺が良いと言ってるんだから最高なんだよこれは!」みたいなのばっかじゃん
変に評論家気取りで客観的に冷静にしようとするから歪になるんだよな
「川越シェフが800円の水飲んでる画像ください。」とかいう変なスレが立っているのは、「川越シェフが○○している画像ください」というネタが流行ったからなのと、川越シェフの経営する”高級”レストランが水に800円の値段を付けており、食べログにその不満レビューを書かれたところ、本人が大人げもなく反論してしまったからというややこしい経緯がある。反論の内容は少々イラッとするものであり、川越シェフのドヤ顔も少々イラッとするものなので、あまり検索しない方がいい。
が、今回の主旨はそこではない。レビューというものへの日本人の気質についてである。
「変に評論家気取りで客観的に冷静にしようとするから歪になるんだよな」
「歪」は「いびつ」と読む。
言われてみれば……、と思い当たるところもある。両極端さも感じるが、確かに色々なサイトのレビューで、評論家気取りと言ってしまうのも可愛そうだが”公正であろう、公正であろう”として書いているだろうな、と思うレビューは多々見受けられる。一方で、たった一つの欠点で一気に奈落の底まで評価を落とすレビューも、あらゆるところで見られる。全体は気に入っているのにちょっとここだけ気に入らない、だから星5つのうち1つ、ここに1か所だけ誤字があった、だから星1つ、ここにちょっとしたバグがあった、だから星1つ。アマゾンや楽天、アプリストアなどでよく見られる光景である。
海外のレビューなんか全部「俺が良いと言ってるんだから最高なんだよこれは!」みたいなのばっかじゃん
これが事実なら、確かに悪い方に「ん~~~!!」と熱を上げてしまうのは日本人の気質なのかもしれない。全体的には雑な造りだけどここだけ気に入っているから「俺には最高なんだよ!」というレビューは確かに見掛けない。やはりアメリカンなイメージを受ける。良い方向に「YHAAAAA!!」となるのがアメリカ人とかで、悪い方に「コラーーーー!!」となるのが日本人という事になる。どちらが正しいかはここで明確に判断出来ないが、ポジティブ、ネガティブで言うならば日本人のレビューはネガティブなのだろう。ちょっと確かに、自分が書く時に一考の余地がある意見である。
なにせ、本でも商品でもアプリでも、大勢の人が労力を掛けて作っているのだ。欠点だって分かった上で”そこは我慢して使って欲しい”と思って世に出したのかもしれない。そして同じその、平均点でありながらとても良い部分もあり、少し残念な部分もあるプロダクトに対し、日本人は重箱の隅をつついて星1つにし、アメリカ人が良い部分をとにかく評価して星5にしていたなら、作った側としてはどちらが嬉しいか、という話になる。いち消費者としていちいち制作者を慮る事もない部分もあるが、人には感情がある事を考えると、ちょっとした欠点だけを取り上げて最低点を付けてしまう前に、”本当にそこまで酷評するものなのか”と多少は深呼吸して考えた方がいいのでは、と思う。