「どんな思い出も思いのままに。iPadでパパッと。」
出典元、Appleのツイッター広告より。イカしたキャッチフレーズなら何を言ってもいいのか問題。
iPadもなんだかノートパソコンみたいになって来ていて、一体どこを目指しているんだという感じだが、いや、だからノートパソコンを目指しているのだろう。画面上のキーが打ちにくいという欠点を”キーボードを付属する”という力技で乗り越えて来て、最近のiPadはキーボード接続を推している。「iPhoneより大きくて画面が見やすいでしょう!」と「ノートパソコンより小さくて持ち運びやすいでしょう!」の間のギリギリの隙間を飛んでいるが、その断崖と断崖の隙間はとても狭く、蛇行しているため、非常に注意して飛ばなければいけない。消費者を我に返らせてはいけない。
さてこのキャッチコピーは、AppleによるiPadのツイッター広告で使われていたものだった。ツイッター広告はツイッター社にお金を払って出しているものなので、フォロー被フォロー関係なく誰かしらのタイムラインに突然現れる。このツイートは動画がメインとなっている広告だった。動画にはiPadが表示され、海で飛び跳ねている男女のカップルの写真が表示されていた。しかし男性の上をペンでササッと選択し、ボタンを押すと……男性が消えたのである。切り抜かれたのではなく、男性のいたところは背景で埋められ、違和感なく男性は居なくなる。キャッチコピー入ります。
「どんな思い出も思いのままに。iPadでパパッと。」
おいっ。
なかなか凄い事をしてくれちゃっている。思い出したくない記憶はこうやって消しましょう、という最新テクノロジーを使った悪行である。普通なら写真は削除してしばえばいいが記憶は時間を掛けて忘れなければいけない。しかしこのレベルで加工してしまえるのなら記憶改竄にも光、である。”彼”のいないたくさんの写真を見て、自分の中でもあれは一人で行ったんだった、そうだったと思い込む。記憶を上書きする。「思い出は思い出のまま」ではない。そんな綺麗な事は言っていない。「思い出も思いのままに」、真実すら闇の中に。法律には触れていないが、倫理には反していないのか。うーん、シンク・ディファレント。
画像加工の技術がAIの進化と合わさって凄い事になって来ているのは分かるが、それでもこれまではマウスでカチカチと細かく調整して加工していたのである。サッと選択してワンボタンで全部いい感じにしてくれるとは、しかもそれがタブレットで出来てしまうとは、技術の進歩は恐ろしい。ピサの斜塔も直立するレベルである。なんとなく最近の顔加工アプリの流行により、テクノロジーが後押しされた気もするが、どうなのだろうか。
一番大丈夫かと思うのはAppleのイメージとしてこれはいいのかなって事だけどイッツジョークで済ませそう。