「帰ってプレステやろう」
出典元、かつて放送されていたドリームキャストのCMより、子どものセリフ。前世紀の話である。
全盛期ではなく、前世紀。いやまあ話題性としてはドリームキャストの全盛期だった可能性もあるが、実は発売前のCMなのでそれを全盛期と言ってしまうとドリームキャストに悪いので、ただの昔話としておこう。しかし「セガのドリームキャストのCMにプレステの名前が?」という話になるが、つまりこれはテレビコマーシャル史に残る、渾身の自虐ネタだったのである。
ゲームファンには語るべくもないが、セガのドリームキャストとソニーのプレイステーションは完全にライバル関係にあった。ここに任天堂を含め、かつて三社は熾烈なシェア争い、ゲーム機戦争を繰り広げていた。そしてこの時期、売上トップとなっていたソニーの「プレイステーション」に対抗するため、満を持して投入されたのがセガの「ドリームキャスト」である。ゲーム機のセールスは、初めの話題性が重要である。……実際は発売されるソフトや性能、互換性の方が重要なのだが、つまりここが勝負の打ちどころであり、そしてセガは勝負に出た。発売前のドリームキャストのCMで、一般人であるところの専務の湯川氏を起用、プレステ上げ、セガ下げを実行したのである。一般的にはざっくりと、
「セガなんてだっせーよな」「帰ってプレステやろうぜ」
として知られる。CMは連作となっており、湯川専務が街で子どもたちの声としてそれらを聞きショックを受けてボロボロになり、最後に「立つんだ、湯川専務!」と終わる。しかし発売が近付くにつれ展開は好転して行き、ついに完成、ドリームキャストってすげぇんだぜ、という空気に持って行った。本物の専務が出演し、素人のたどたどしい演技で自虐ネタを披露するという、このとんでもない手法は非常にウケた。話題が話題を呼び、発売日にはドリームキャストは売れまくった。
……が。発売当初は大変に売れたドリームキャストも、思う様にシェアは伸びず、1998年の発売から3年経った2001年に販売終了となり、さらにセガはゲームハード事業から撤退した。理由は色々あるがまあ、「プレイステーション2」が強過ぎたのが主な原因だろう。ソニーに完全敗北した訳である。しかし主でない原因を言うならば、結果として、いや、後世の歴史家的な論として、……このCMのせいだったのも否めないのである。
つまり一般の人はセガが「だっせ~」事など別に知らなかった。ゲーム機はソニーと任天堂とセガが出してるな、ぐらいしか知らなかった、……ところに。セガ自身が「セガなんてだっせ~」というイメージをCMをバンバン流して広めてしまったのである。ソニーは天下のソニーだし、任天堂はファミコンからの絶大なゲーム機ブランドがある。そんな巨人たちに対抗するセガが自らマイナスイメージをすり込んでしまったのは、一発ネタだったとしても、結果的に大きな悪手だったのである……。一時的な効果は絶大だが副作用の強いカンフル剤を使ったら、瞬間的に売れたもののそのあとジワジワとダメージを負い、倒れてしまったのである。嗚呼無情。
現在は分社化などしてソフトメーカーとしてゲーム業界で生き残っているセガ。ハード事業にこだわって倒産しなかっただけマシだったのか、どうだったか。答えはセガファンのみぞ知る。
「ドリームキャストいかがっすか~」
本ページの情報は2023年3月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。