「是々非々」
出典元、中国の思想家、荀子の言葉であるが、現在でも日本で使われる表現。立場に囚われず、良い事は良いと認め、悪い事は悪いと否定する事。
ある特定の分野でよく使われる表現だがそれはスルーする。しかしまあ、立場というものがあるので実際のところ「是々非々」を信念として行動するのは難しいものである。自分では「それいいな」と思った場合でも、上司やそのさらに上司が「ダメだろ~」と言ったらそれに反逆するのは非常に難しい。身を切る決断が必要である。というかその対象によっては実際に身というか首を切られる。
しかしそんな選択肢が出てしまうからこそ世の中単純に上手く行かないのであるし、分かりきった「良い事」も単純には進まず、分かりきった「悪い事」もあっさり進んでしまうのが困りものである。あくまで漠然とした話である。漠然としていないとヘビーな方向に話が行ってしまうので、……いやしかし観念的な事を言っていても伝わらないので、なにかに例えよう。
会社での、新しい事業、あるいは企画の会議などだろうか。下から細かいアイデアが上がって来る事もあるが、大体においてざっくりとした大きな事をぶち上げるのは上の者である。それを雁首揃えて細部を練り上げ、成功確率の高い企画に仕上げて行く。細かい資料作りや細々とした作業をするのは下の者である。中間地点にいる者は上からの指示を吸収し、下に投げたり、どうしても難しい部分は上を説得して軌道修正してもらったり外部とのやりとりを担当したりと、ああ、意外と大変な部分である。上の者は大雑把に思い付く役と、途中経過の会議で自分の思ったとおりに行かなさそうなのを強引に引き戻す役と、上手く行った時に最後に手柄を持って行く役である。下の者もアイデアを出したいがとにかく手を動かす事に忙しいのでなかなか声が上げられない。自分のまとめている内容でここはちょっとダメなんじゃないか、と思って中間の者に進言するものの、却下されたらそこまでだし大体において常に修正、変更、ダメ出しの嵐なのでそんなにいろいろやっている暇がない。
つまり下の者は「是々非々」ではとても動けない。中間の者は「是々非々」で考えたいが上の者に却下されたら大いなる努力を払って説得する必要がある。そして上の者は、……おそらく自分のアイデアが上手く行く事だけを考えている。そして上がってくる修正意見を邪魔だと感じ、「是々非々」の考えは出来ずに、否定する者の評価を下げるだろう。
もちろんそういう人たちばかりでは無いし、上手く行く企画もあるだろう。しかし世の中には失敗する企画はもっと多いのである。そして上司への愚痴、というものもすさまじく多い。つまりそういう事か。年功序列の弊害かは分からないが、上司が出来る人とは限らないのである。出来る人で上の立場になったと思ったら豹変してしまう人だっている。しかし権力、決定権は持っているので、結果、その会社から出て来るものはその人が通したものでしかない。いくら下の者、中間の者が「是々非々」で考え、良いものは良い、悪いものは悪いと提案しても、上の者が通さなければ全ては徒労に終わるのである。漠然とした話だが、実際に数か月掛けて十数人が新企画だと気合いを入れて作ったものだって簡単に失敗に終わる。これがよくある光景となってしまっているのは、上の者が「是々非々」の考え方を持っていないのが原因なのではないか、と思うものである。