「大丈夫」
出典元、日本語の表現。大丈夫な時と、大丈夫でない時に使われる。
気を遣うセリフであると共に、気を遣わせるセリフでもある。人が転んだなどのアクシデントがあり、見ていた人が「大丈夫ですか?」と問いかけるシチュエーションは容易に想像出来るだろう。そこで声を掛けた人が他人だった場合、転んだ人は”大丈夫か大丈夫でないかに関わらず”、周りの迷惑を考えて「大丈夫です」と答えるだろう。実際にケガの状態を確認もせずにとりあえず答えるその「大丈夫です」は、残念ながら何の確証もないとりあえずのひと言となってしまうのだが、悲しい事に、それがかなり一般的な使われ方となっている。まず周りの迷惑を考えてしまうのは、実に日本人的と言えよう。
同様に他人でなかったとしても、大人がケガをしてしまった時に、小さな子どもから「大丈夫?」と心配されたら「大丈夫」と答えるだろう。子どもを安心させる意味があるとも言えるが、本当に大丈夫かの保証がない場合は危険な判断でもある。頭を打って意識がおかしく、本当は危険かもしれない様な時は、子どもにだって他の大人を呼ぶぐらいは頼めるのだから。
また、その人の性格や育ち方によっても多用の危険性がある言葉でもある。仕事があまりにも忙し過ぎて残業続きだったり、風邪を引いているのに自分でやらなきゃ、と思ってどうしても頑張ってしまう人は、責任感が強い人と言える。しかしこれは残念ながら”悪い意味で”である。本来なら何人かで分担する様な仕事を、休む間も惜しんで自分でやってしまったり、倒れそうになりながらも家に持ち帰って睡眠時間を削ってやってしまったり、である。それで倒れてしまったら結局その仕事を丸々他の人がやらなくてはならなくなるので本当に本末転倒なのだが、しかしそういう選択肢を選んでしまう人が多いのも確かである。給与と結び付かない状態での頑張りになるパターンが多いのが、悲しいところである。
特に”自分にしか出来ない”と思っている仕事に多い。実際、デザインやライティングなど個性の出るクリエイティブな仕事は、自分がずっとやっていた仕事なら仕事なほど、自分にしか出来ないと思うものは多いだろう。プライドにかけて自分でやりたい。他人に任せたくない。その気持ちは重々分かるが、しかし倒れてしまっては元も子もない。そういう時に備えて会社というものは担当一人がいなくなってもなんとかなる様に人員が居る訳だし、実際にいなくなってもなんだかんだで回るようになっている。しかしこれが一番難しく、やっかいな部分であるとも言える。
逆に本当に「大丈夫」な場合もある。凄い音をさせて椅子からすっ転んだ人がいたら、どうしても心配してしまうだろう。しかし人の体の頑丈度には差があるので、本当に「いてて……」で済み、数分後には忘れて力作業をしているぐらい平気な人もいるのである。他人に分からないところなので心配するのが必要な部分だが、そういう頑丈な人もいるのである。しかしこれが精神的なものになってくると積み重なってしまうので注意が必要で、「大丈夫?」、「大丈夫」とこれまで何十回やりとりしたかな、と思う様な仕事の状況になると油断は禁物である。本当にやっかいな点で、「大丈夫」を言い慣れてしまう様な人は周りも注意が必要である。やはりそもそも信用のならないセリフである。