「鬼のような」
出典元、いつごろからか使われ出した日本語の表現。2000年を少し過ぎた辺りからだろうか。
「鬼のような強さ」といった表現は昔からあったと思われる。ので、今回紹介する「鬼のような」は日本語として少しおかしい使い方、が、定着してしまったものを言う。「鬼のような量」、「鬼のような速さ」などである。別に鬼に量的な特徴などないし、足の速い化け物でもない。正しい表現を使うなら、「山のような量」、「風のような速さ」といったところだろうか。しかしそういった体でやたらと広まってしまった。最初の違和感を覚える期間が短く、あっという間に皆が使う様になってしまった覚えがある。アナウンサーは使わないが、芸人はすぐ取り入れていただろう。要するに”用法として間違っていても意味が伝われば良く、違和感がクスリと来る”表現である。
語源はしっかりとは調べていないが、自然発生的に使われ出した気がする。あとネットスラングではない。日常会話でも使われるところから、ネット発祥では無いのかな、とも思われる。「鬼のように眠い」、「鬼のように疲れた」など、つまりは「超」の上というか、「超」よりもっとだよ、とアピールしたい時に使われる、そして使いたくなる表現なのだろう。ちなみに「鬼」の上には「神」があり、「鬼のような」が広まってからしばらくしてこれも自然発生的に使われ出したが、「神」は比較的使用用途が限られるので、上限として「鬼」が使われ続ける場合も多い。「神」は褒める系などによく使われる感じだろうか。「神」「神」言ってると嫌がる人はそこそこいる。そして「神」の上は発生しておらず、「鬼」、「神」で打ち止めとなった。しかしどちらも一過性のものではなく、日本語として定着してしまった。フランクな会話では現在も普通に使われている表現だろう。
広辞苑に載っているかは知らないが、載ってないのならとっとと載せた方がいいだろう。「鬼」はともかく「神」については外国人が日本語を学ぶ時に一悶着あるかもしれない。まあ「super」よりも上の表現が「ogre」(鬼)で、さらにその上が「kami」とでも教えておけばいい。日本人に伝わればいいのだから。スーパーサイヤ人の1、2、3で例えてもいいし。……適当過ぎか。
しかし、まったくもって適当な「鬼」象である。「鬼のように書きまくった」、「鬼のように忘れてた」、「鬼のように遅れた」、など、実際に「鬼」がやっている姿を想像するとシュールである。しかし使われている事は確かなので、やはりただの「超」の上なのだろう。「超」の上に来るちょうどいい言葉がなかったせいで、こんな不思議なものが広まってしまった。日本語と日本人の不思議である。「鬼」や「神」の上とか下とかの位置的にはどこでもいいので、似た様な感じでもう一つぐらい自然発生して来たら面白いものである。ゲーム用語だが、「オーバーキル」を日本語にするとどうなるだろうか。敢えて意味は書かないが、イメージ的にはその辺りが滑り込む可能性を持っているかもしれない。が、もちろん全くもって予想など付かないし、発生するとも限らないし、いい加減な話である。