「会話のキャッチボール」
出典元、日本でよく使われる表現。昔からあるものだが、もちろん野球が日本に入って来てから使われる様になったものだろう。
いい意味ではあまり使われない。「あの人、会話のキャッチボールが出来ないよね」といった風に悪い意味でよく使われる。会話のキャッチボールとはつまり、お互いのそれなりの分量での対話である。レクチャーだったり、大勢になるとまた話は違って来るが、一対一で普通に会話をしていた場合、片方が一方的にしゃべり続けていたのでは、それはもはや会話ですらない。往々にして、しゃべり続ける人は空気が読めない人が多く、また話の内容もつまらない。さらに同じ内容を何度も繰り返ししゃべっていたりしたら、重傷だろう。真実の一つとして、会話とは
”話している方が楽しい”のである。
つまり会話の楽しさのうち、楽しい方を一方的に独占している。これはじゃあ聞く側も割り込んで話せよ、という単純な問題では無い。そういう空気の読めない人間は、こちらが相づちと共に割って入ろうとしてもそれを遮ってまた自分の話にしてしまうのである。たまにこちらのエピソードを聞く事はあっても、それは聞いている風を装っているだけであって、頭の中では次に自分のしゃべる事を考えている。こちらの話は聞いていない。なので会話の切れ目に、また唐突に話題を自分の方へ持って行ってしまう。「あの人とか、そうだよな……」と思い当たる人も多い事だろう。世の中に結構たくさんいるのである。迷惑なものである。
こういう人は次第に人から避けられて行くものだが、もちろんそうならないシチュエーションというものもある。それは会社であったり、部活動であったり、近所付き合いであったり、いろいろとあるがつまり大きく環境を変えない限り逃れられない人間関係、の際の、上の立場の人だった場合である。こうなるとたちが悪い。本当にたちが悪い。”上の人を立てて”話を聞く事になるのだが、例えば喫茶店で「ああもう2時間ぐらい相づちしか打ってないな……」みたいな事になるともはや苦行である。たまに、ごくたまに話の面白い人もいるが、そういう人はどちらかというと大勢集めてしゃべりを独占しつつ、みんなを楽しませる”空気の読める”側の人だろう。飲み会などでもあるシチュエーションだが、社長、会長などの社会的地位の高い人ほどすごい人生を送って来ているので、すごいエピソードを持っていたり著名人と会った事があったり有名高級店に行った事があったりと、それは聞く側も興味津々となるパターンである。楽しい話題ならひたすら聞く側でもいいのである。
しかししょーもないエピソードだのニュースへの所感だの、一般ピープルの平凡話を独占されて聞かされる事ほどストレスの溜まるものは無い。「会話のキャッチボール」という言葉になぞらえるなら、「泥団子の壁当て」と言ったところだろうか。相手をキャッチして投げ返してくれる”人”とは思わず、ひたすら自分が投げ続けていい”壁”だと思っている。ボールは泥団子なので壁に当たって潰れ落ち、投げ返される事は無い。相手の相づちもしゃべってる側にとってはどうでもいいので、つまり”壁”である。”人”でなくてもいい。つまり、いなくてもいい。だれもいないところで一人でしゃべっていればいいのに、という状況である。全てがそういう人だとは言わないが、耳が痛い人がいたなら今からでも気を付けて然るべき行動だろう。周りに人がいなくなってる、と思ったら既に嫌われて避けられている状態であり、人がいたとしても立場的に嫌々従っているだけである。
最後にちょっとした雑学を。友達間で「あれってどうだった?」と聞かれた時、自分が答えたあとにちゃんと相手にも同じ事を聞いてあげると、気遣いの出来る子扱いされるかもしれない。その話題は実は、自分の事を聞いて欲しくて、相手に振る場合が多いのである。女子に多い気がする。ラジオ番組でパーソナリティが二人いる時に、リスナーからのメールで「お二人はどうですか?」と聞かれた際のリアクションの応用である。