「自己流」
出典元、日常でたまに使われる言葉。今回は注意喚起的な意味で取り上げる。
もの作りでもスポーツでも料理でも、はたまた勉学でも、たまに上手く行っている人に話を聞いて「実は自己流なんですよ」と謙遜めに語る人がいる。結論としては成功している人ならいいと思う。目的は達しているのだから、手段に必要以上にこだわる必要は無い。今挙げた中でなら料理は多いだろうか。脱サラをしてラーメン屋などを成功させている人に話を聞きに行ったら、「ラーメン好きが高じて料理学校などに通わずに自己流で……」と謙遜しつつもドヤ顔で話してくれる人は多いだろう。自己流と言っても、その他大勢のテンプレート通りの学習手順を踏まなかっただけで、自分でそれなりに勉強して作りあげたはずだ。それを否定するつもりは無い。まあ料理だと、ある程度シンプルめのものに限られると思うが……。
問題は、上手く行っていないのに「自己流」でやっている人の方である。たまにある、「こういう畑じゃなかったんですよ~」、「なのでそういう勉強とかして来なかったんで手探りで」、「上司にやれ、って言われたのでやれるだけやってます」、というやつである。そして正規の学習手順を踏んでいないので、”なんとなく”でやっている。これがまずい。
もちろんそういう人にもどのくらい芯を込めてやっているかによる段階があるのだが、上にもある「畑違いだけど」、「畑違いだけど」、を言い訳にしてずっとなんとなく進めている人がいて成果も微妙だったのならそれは問題である。責任は上司にもあるが、そのまま進めて行っていい訳ではない。ここで、じゃあ会社のお金で学校に通わせろとか、何度にも渡る講習を受けさせるべき、と言いたい訳ではない。何が言いたいかと言うと、「そのジャンルの本を買って熟読しろ」と言いたいのである。
そのぐらいやってるだろう、と思いがちだがそうとも言い切れない。そういう人に限って、ネットで大まかにまとまっている情報を頼りにしていたりする。ネットで大体の情報が転がっている場合も多いが、逆に言えば体系的にまとまっている確率は低い。そしてマニュアル系書籍となると制作に多人数が絡んでいるので、あからさまに独りよがりなものは少ないのである。もちろん書籍も多種多様なので当たりハズレはあるのだが、最近は購入前にある程度評判を調べる事が出来る。調べた上で、良さそうなものを段階別に数冊購入し、全ページ熟読せよ、という事である。
いやそのぐらい……、と思われるだろうが、あるのである。ネットでパパパッと調べて「自己流」でやっていたがそれなりに出来ているな、と思っている。が、マニュアル本、専門書である。それを買って来て、まず「基礎からの~」を序盤読み始めた時点で「え、こういう事してないといけないのか」があり、チェック、チェック。一冊読み終えた頃にはこれから修正していかなければならない事案が山積みである。つまりこれまでそういう基礎的な事が山ほど出来ていなかったのである。もちろん一つずつやっていくべきである。そしてそれを、なるべく深さに応じて3冊ぐらいは読破して、業務内容に反映させていく。そこまで行ってから最初にネットでパパパッと調べた情報を見てみると、「ああ、こういう意味だったのか」と新しい発見があるだろう。
これはコスト面で言うと、学校に通うより遥かに楽な割りに、なかなか効果的な方法である。もちろん適正の高さ低さは業務のジャンルにも依るが、少なくとも初めから「自己流」だけで「これでいいのかな?」と思いつつやるよりは遥かに有効な手段だろう。「自己流」が良くないと言っている訳ではない。「自己流」だけで全部やろうとするのが、いろいろな分野において危険だという訳である。基礎をまず学んだ上で、「自己流」にやり方をアレンジして行くのが成功への近道である。