「すごい勢いで」
出典元、ラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」より。伊集院光が使い出した表現。
……と言われても、そんなの普通の表現じゃないか、みんな使ってるよ、と思う人もいるかもしれない。が、しかしこれはたぶんおそらくきっと、ほぼほぼ……、伊集院光が使い始めた表現である。今現在、ごく普通の言い回しだと思う向きがあるとしたら、それはただ単に時間を掛けて一般に浸透して行っただけという事でいい。
ただもちろん、「すごい」と「勢い」はどちらも普通の言葉なので、繋げただけでそれがどうした、という感想を持つ人もいるだろう。「すごい」が名詞で「勢い」が形容詞。さらに言うなら繋げたあとでも普通の言葉である。ではどこがオリジナルなのかと言うと、そのあとに続く言葉にひねりを利かせるのが、この表現の正しい使い方なのである。すなわち、
「すごい勢いでしゃべる」
「すごい勢いで走る」
「すごい勢いで食べる」
などでは、ごく一般的なニュアンスに落ち着くが、
「すごい勢いで悲しむ」
「すごい勢いでテレビを見る」
「すごい勢いで一服する」
となると聞いた側も「……ん!?」と一瞬考えてしまう、その効果である。つまり、受け手側に「それ、すごい勢いでするものじゃないでしょ!」と思わせ、しかしまあ意味が伝わらない事はないので理解はしてもらい、ただその表現に少し、くすっとしてもらう、……効果がある。
単に変わった表現を使ってみただけという話でもあるし、特にお笑い芸人などは個性を出すために変わった表現を考え出したりする事が多いだろう。しかしそれが一般人を巻き込んで現在まで使われている事を考えると、これはやはり、表現の発明と言ってもいいレベルのものではないだろうか。伊集院光が使い始めたのは20年近く前なので、またこの時間を掛けて浸透してしまった、というストーリー展開もいい味を出している。
ただもちろん「すごい勢いで運ぶ」の様にストレートな表現に使ってしまったのでは本当にただの前置詞である。しっかりと後半に変化球を利かせ、聞いた人の頭脳をずっこけさせるのが、話す側の腕の見せどころだろう。今現在「すごい勢いで」を使ったところで伊集院光を連想する人もいないだろうが、発明したのだから誇っていいし、本人がそんな事しないよ、って言うのなら知っている人が多少でも、褒め称えてあげてもいいのではないだろうか。
すごい勢いで決め付けてしまったが、まあ、おおむね間違いではないだろう。