「ほらほら、一緒に通っちゃって」
出典元、不詳。どこかのおばさんの罪深いセリフ、……もとい、罪のセリフ。
人はそれぞれ自分の中にいろいろな基準を持っているが、逆に言えば人によって物事の基準が異なる場合が多いという事でもある。日本人は学校で、なるべく他の人と同じ様にする方向で教育を受けるため、あまりはみ出してしまうと周りから浮くのでその時点で結構気付くものだが、そもそも突き抜けた考え方の持ち主だったり、たまたま教えられずに大人になってしまう人もいるのである。そこで問題となるのが子どもへの教育や、人付き合いの仕方、そして
犯罪への意識の低さ
である。
おそらく万引き、キセル辺りにラインのある問題だが、芸能人がテレビで笑い話のつもりで過去の万引きやバイト先での横領を語ってしまい、炎上した事件などがあったかと思う。どちらも「一歩間違えれば犯罪」”ではなく”、「明確に犯罪」である。笑い話になると思ったという事は、その人の犯罪への意識があまりにも低かった事の表れでもある。原因は親からの教育か、周りの友人環境にも依るだろうが、犯罪となるとやっていいか悪いか判断するのは自分では無い。やってはいけないのである。そして芸能人がテレビでそんな事をしゃべれば大変な事になるのは当たり前であるが、一般人の中にも”そういう人”がいるのが困りものなのである。
このセリフは、料金を払ってどこかのエリアへ入るなにかのゲートを通過する際に放たれた。前を行くおばさんが料金を払い、ゲートが開く。そして、閉じる前に通過すれば次の一人ぐらいは料金を支払わずに通れる事を知っていたのだろう。次に来た人にこう言った。
「ほらほら、一緒に通っちゃって」
親切心から来るセリフである。が、
犯罪教唆でもある。そもそもあとから来た人は知り合いでもないし頼んだ訳でもない。つまりおばさんの中の間違った倫理観と親切心により、一人の人間を犯罪者にさせたかもしれないセリフだったのである。恐ろしい。親切心から来たものであるだろう事が、一層恐ろしい。しかし言われた人は”いやいやいや、なに言ってんの、いい訳ないじゃん”という空気を出して丁重に断り、そのズルは成されなかった。おばさんは、もったいない、とでも言いたげに去って行ったが、そんなのは断るのが当たり前である。犯罪なのだから。
この問題の恐ろしさはこれが他人にすら行われた点で、もしそのおばさんが、小さな子どもを連れていたらどうなっていたか、である。想像するに、日常的にそのズルを行っていたのではないか。それはおばさんの罪であるが、子どもも罪を犯した事になるのではないか。犯罪への意識の低さの危険さは、こういうところに現れる。自分は悪い事しないぞ、と子どもが正義感を持った時点で、もっと小さな頃に既に親によって犯罪を犯させられていた、という事になる。これは正に悲劇である。世の親御さんには本当に、自分の間違った価値観で子どもに気軽に犯罪を犯させる様な事は、させないで欲しいものである。10円の飴玉でも、万引きは万引きであるし、犯罪は犯罪である。しかし啓蒙しても、本人の意識が低ければ意味がないのが難しいところである。
「ほらほら、一緒に通っちゃって」
「罪深いセリフ」ではなく、それは犯罪なので「罪のセリフ」である。