「うまくできなかった」と落ち込んでるけど、それ「100点じゃなかった」ってだけで実は60点くらいは取れてたりしない?勝手に0点の気分になってない?0点と100点の間に中間の空間があるってこと忘却してない?及第点ということにしといてもよくない?それより僕と踊らない?
「うまくできなかった」と落ち込んでるけど、それ「100点じゃなかった」ってだけで実は60点くらいは取れてたりしない?勝手に0点の気分になってない?0点と100点の間に中間の空間があるってこと忘却してない?及第点ということにしといてもよくない?それより僕と踊らない?
— トモナシ (@tomonothing) June 1, 2018
出典元、トモナシ(@tomonothing)氏のつぶやきより。考え方一つで、物事はどういう見方でも出来るという話。
シャル・ウィー・ポジティブシンキング?
これは人が皆、持っておいた方がいい考え方なのかもしれない。なにかで100点を取れなかったとして、それまでの努力はすべて無駄なのか。それまでの頑張りはなかった事になるとでも言うのか。勉強だったらその60点取れた分だけ知識が身に付いているし、スポーツだってその努力によって付いた体力も筋力も0点評価はおかしいだろう。そう、”そこまで落ち込む必要はない”。
そしてもし「その考え方は甘いんじゃないか」という思いが脳をチクッと突くとしたら、その考え方を持った上で、時には自分に厳しくしたっていいし、時には救われればいいだろう。決め付けるのではなく、柔軟性を持って受け止める。別に点数が付かないものだっていい。成功を喜ぶのはいいが、失敗でそれまでの頑張りを全部無駄だと思うぐらいに落ち込む必要もない。自分で自分の健闘を称えてもいいのである。
周りによく自分の事を見てくれている人がいるなら、失敗した時にそういった声を掛けてくれるかもしれない。しかし特にそういった人がいなかったり、心にハム太郎を飼っていなかったりする人は、こういった「セルフ励まし」を活用して心の平穏を維持したいものである。なにもしなかったのが0点だとしたら、60点だって大きな前進なのだから。
そしてこの60点というのがなかなかにいいところを突いている。100点満点のテストにおいて”合格ギリギリ”や”平均点としてなんとか使ってもいい最低ライン”は、おそらく65点だろう。60点はかなりの人にとって赤点に分類される点数である。しかしそこをまさに、通常なら不合格になってしまう60点でも60点分は認めてあげようという、その線引きが上手い。
こういった「誰にでも当てはまる考え方」で、読んだ人にちょっとだけ考えさせた上で納得させる文章というのは、有り体に言えば素晴らしい。くだけた語り口調だというだけで、世が世なら語り継がれるべき名言である。このツイートに関してはオチまであるし、非常に完成度が高い。つぶやいたこの人はトモナシという寂しい名前をしているが、たびたび考えさせられる言葉をつぶやいている。「20世紀少年」は好きそうだが……、こういった野生のコピーライターみたいな存在がたまにいるから、インターネットは面白い。