「まずくて寂れてる喫茶店ほんとすき
凄い落ち着く」
出典元、2chスレッド「ワイ近所のお気に入りの喫茶店が閉店し咽び泣く」より、どこかの誰かの書き込み。
スレッド名の方、悲しい話である。近所で入りやすく、居心地の良い空間がなくなるのは寂しい事である。そもそも喫茶店自体、一度入った事のある店か入った事のない店かで入りやすさも変わって来る。そして慣れた店なら入りやすく、家の近くなら常連となり通いやすかっただろう。スレ主は小さい頃から通っていた店で、食べ物系が美味しかったらしい。個人経営の店としては貴重である。そういうものがなくなってしまい咽び泣く気持ちも分かる。
そして今回のセリフはそれとは少し逸れた意見であるが、唐突に放たれた。
「まずくて寂れてる喫茶店ほんとすき
凄い落ち着く」
酷い言い様だが、……すごく良く分かる。喫茶店とは、ほどよい周りのノイズはあってもいいが、繁盛しすぎてうるさいぐらいになると用を成すものも成さなくなるのである。すなわち、読書、勉強、考え事、今ならネットもだろうか。すぐ隣の席でご婦人の団体さんがぺちゃくちゃしゃべっていたら、その話の内容しか頭に入って来なくなる。それは、そのご婦人たちの話を聞く会である。であるからして、もちろん客がいなさすぎて潰れてしまうのは問題外だが、流行りすぎている店というのも考えものなのである。
ここで、「じゃあ不味くてもいいのか?」という論点が提起されるが、それは各個人のコーヒーへの思い入れと、場所としてのその店の存在価値とを天秤に掛ける問題となるだろう。喫茶店というものは場所代も兼ねている。明らかに過剰に、開店から閉店までコーヒー一杯で居座るというのは非常識だとしても、そもそもコーヒー自体が高い値段に設定されているのだ。そして新聞や雑誌を置いていて、人との打ち合わせ場所などにも使われる。長居を前提としている場所なのである。
ならば、つまり潰れない程度に存在し続け、しかし繁盛もしておらず客が少ない、つまりノイズが少ない、という読書や考え事にとても快適な環境の店が、良い店と言えるのではないか。そこに、「不味いコーヒー」という要素が必要だとしたら、それはそれでありと思う気持ちも分かる。コーヒーが不味ければ他のものを頼むという手もあるし、喫茶店と言いつつ飲食より居心地の良さを優先して利用する客は多いだろう。大通りや学校などからも離れていて、店外からの喧噪も少ないと、なお望ましい。家の近くに欲しい一店である。
住宅街にあり、客もまばらで、静かな音楽が掛かっていて、長居しても文句を言われず、店員がうろちょろしていない店。漫画家などでも喫茶店で独りネームを描く人がいるらしいが、そういう店は本当に貴重な存在である。やはりコーヒーは不味くてもいい。