「前者、後者」
出典元、一般用語。あらゆるところで使われている表現。
結論から言うと、分かりにくい。
「前者はこの様な説であり、後者はこの様な説である。筆者の考えによると、前者は○○であり、後者は○○であると考えられる」。などという表現が比較的よく見られるが、なぜ市民権を得ているのかさっぱり分からない。理由は、間を空けて文章を記憶していなければ理解出来ないからである。実際にこのような文章に出くわした場合、時間を空けて取り上げられた「前者は」について、その前者について触れているところまで戻って確認する作業が発生する。もちろん、完全に記憶していればその作業は発生しない。しかしどのくらい離れて触れているかもその文章次第であるし、読者の記憶力というものもマチマチなのである。さっぱり覚えていない人もいれば、後者まではギリギリ覚えていて、前者はやっぱり読み返さないと思い出せない人もいるだろう。
なぜ、このキザったらしい言い回しが市民権を得てしまったのか、さっぱり分からない。せいぜい、格好いい、プロっぽく見えるから使ってしまおう、という魂胆が透けて見える程度である。公的文書や固い解説書などで出て来たりする表現だが、正直、文章としては落第点の存在だと思う。自分では絶対に使わない。読み手の記憶力に期待しすぎているのだ。
読み手、と言うなら聞き手、とも言える。実際の会話で、「前者は」、「後者は」と使った後に、しばらく時間が経った後で「前者について言えば~」と始められるだろうか。相手から「えっと前者って何だっけ?」とつっこまれるのではないか。これは文章ではよく使われる表現なのに対し、会話ではほとんど使われない事から、成立していないと言える。何が成立していないかと言えば、会話として成立していない。つまり、文章なら”読み返して確認”してもらう事が前提となっているのではないか。
記者会見などの場で記者からの質問で、質問は3つあると前置きしておいて10分ぐらい質問をまくし立てる場面がある。あれも本当に聞く側がメモしていなければしっかり10分聞いたあとで、「1についてから回答お願いします」と言われても記憶に厳しいものがある。別に質問でなくてもいいが、酷いものになると1~7ぐらいまでまず羅列した上で、「1については、」などと1の説明を付けずに解説を始める。ちょっと待った待った待った、読んできた人がその1から7を完全暗記した前提で話が進んでいないか?
つまり解決策としては、「1については、」ではなく「1の予算面については、」などのようにその題名に触れる事である。前者、後者も同様であり、会話にしても文章にしても同様である。前者、後者を使うのならば、「前者の人員の問題については、」などのように使ってほしい。しかしどちらにしても使わなくてもいい用語である。法律用語や著作権関連の用語などは、素人にはわざと分かりにくくして専門性を上げている様なところがあり、それ自体が問題である。しかしそういうものでないなら、少なくとも読み手、聞き手に分かりやすい説明を心掛けるのは、解説する側の責任なのではないか。
まさにその通り!
実際には会話で前者後者を使う人がいますが、曖昧な会話の発生源になり、やめた方がいいと確信しました