「芋からさきに降参して来い」
出典元、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」文庫版第六巻より。三好軍太郎のセリフ。
”芋”というのは薩摩藩士の事であり、まあ蔑称である。さつまいもから薩摩藩を連想してしまうのだからしょうがない。芋侍とも呼ばれていたか。これを言った三好軍太郎は長州藩の藩士。舞台は京都、時代は幕末。明治維新の直前である。西郷隆盛がそこにいて、桂小五郎が相対している。坂本竜馬も横にいる。薩長同盟の結ばれる、まさにその直前である。
情勢は火急の様相を呈していた。幕府を打倒するには長州藩と薩摩藩が手を組むしかない。それは両藩ともに分かっていた。世間でもそれはささやかれていた。しかしその2つの藩には過去の恨みからとても大きなわだかまりがある。長州藩の桂小五郎は、同盟はやはり受けられないとして長州に帰ろうとしていた。薩摩藩の西郷隆盛も、対話する場に現れ頭を下げるも、同盟は切り出せなかった。これを取り持つのはもちろん、坂本竜馬である。
竜馬は土佐藩の脱藩浪士だった。この時代の武士は、どの藩も藩からのしがらみがあったが、土佐は地位の高い上士(じょうし)と、地位の低い郷士(ごうし)のわだかまりが大きく、脱藩浪士が多かった。尊皇攘夷の流れの中にあっても幕府を裏切れない藩主の意向も影響していた。脱藩は簡単な話ではない。藩からの裏切り者は処刑されてもおかしくないし、家族に被害が及んでも仕方のない状況だった。長州藩、薩摩藩は藩として動けていたが、土佐藩士は主に脱藩して個人や小さなグループで活動していた。京都へ行けば尊皇攘夷派として新選組や見廻組に狙われるし、脱藩しているので土佐藩邸にかくまってもらう事も出来ない。そして故郷にも帰れない。大変な思いをして、多数の犠牲者も出しての大立ち回りだった。
薩長同盟が成るか成らぬかの佳境も佳境。役者も揃い、議題も分かり切っている。しかし誰も口火を切らない。竜馬も一度失敗しているせいかなかなか動けない。ここで三好軍太郎のこのセリフである。
「なにも長州が頭を下げる理屈はありゃせんぞィ。芋からさきに降参して来い」
いや、ボソッと仲間だけに呟いたつもりだったが、……間違えて皆に聞こえるぐらいの大声になってしまった。たまにいるよね、声の音量調整ミスる人。しかしそこに……
「芋とはよかった」
と坂本竜馬が爆笑で受け取る。そこまで面白くなかったかもしれないが、空気を読むという行為の”歴史的バージョン”である。このせいで悪く言われた薩摩側まで笑い出し、場は急になごやかな雰囲気になる。
「なるほど降参でごわすか、いかにも降参しもそ」
これに西郷隆盛が乗り、薩長同盟は成るのである。登場する人物の方言がいちいち”どぎつい”のは仕様である。
司馬遼太郎の小説は、記録に残っている部分は史実準拠だが不明な部分は作者の創作という扱いである。残っている会話の史料もあるが、もちろん全部が全部残っている訳ではない。この細部のやり取りも創作部分が大きいのだろうが、それだけ難しくデリケートな問題だった薩長の関係が良く伝わってくるいいエピソードである。
明治維新という日本の歴史の中でも大きな出来事に、中国地方の端っこの長州藩、日本の南端から二番目の薩摩藩、四国地方の土佐藩、の脱藩浪士、が大役を務めたのである。東京でも大阪でも、京都でも愛知でも福岡でもないのが面白い。あまり大きく取り上げられないが、明治新政府以降しばらくこれらの藩の出身者が重要なポストを握り、日本の舵を取っていく。まあ、しばらくどころでもないが。