「そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆ける君よ!」
出典元、GLAYの曲「サバイバル」より、歌詞の一部。作詞、TAKURO。
「サバイバル」。日本の音楽業界における異質な存在の一つ、異質な歴史の一つ。もはやどうでもいい存在となってしまったが、発売された1999年当時はオリコンチャートというものは絶大なブランド価値を持っていた。そしてGLAYもまた、曲を出せば大ヒット間違いなしの人気絶頂の頃だった。そんな時に発売されたのがこの「サバイバル」という”ミュージック・ビデオ”シングルである。なんじゃそりゃ。
簡単に言うと「シングルCDを映像付きのビデオテープで出した」、そしてCDは出さなかった。まだビデオデッキもみんな持っていた頃である。が、しかしCDプレイヤーは普及していた訳で、音楽というものは繰り返し聴くものである。ビデオテープで発売されてしまったらリピート再生もままならない。しかしまた映像もアニメ作品なのだが、歌と良くマッチしていてとてもノリノリで良い曲なのである。繰り返し聴きたい。でもいちいち巻き戻さないと聴けない。まさに遊び心を出し過ぎてユーザーを置いてけぼりにしまくった意欲作だった。「それもいいけどCDで出してくれよ!」と当時100万人ぐらいが思ったと思われる。一応、ミュージック・ビデオ作品の売上歴代1位らしいが、CDで出していても1位か2位ぐらいの人気だったのでミュージック・ビデオなんていうマイナーなところでメジャーな作品を出せばそうなるのは当然である。そしてビデオテープの廃れた現在、そして未来、永遠に抜かれない記録として1位に留まり続けるだろう。まあそれが目的だったのかもしれない。
ビデオテープなんて古い。が、歌は古くならない。……が。
場合によっては”歌詞は古くなる”のである。
よく言われるのが「ポケベル」、「公衆電話」である。スマホは今のところ「ケータイ」とも言われるので、なんとかガラケーはピンポイントで食らっていないが、歌詞に「ポケベル」なんて入れていた日には「昭和だなぁ」、「古っ!」扱いである。これはまさに悲劇。「ポケベル」の全盛期はそれほど長くなかったと思うが、その間に歌詞に入れてしまった作詞家の中には、ああこんなに早く廃れるなんて……、と頭を抱えた人も多かっただろう。「公衆電話」も同じである。「ケータイ」の普及でこれほど日常生活から遠い存在になってしまうとは。こちらはまだ残っているとはいえ、「ケータイ」を持ってない人も少ないし「公衆電話」を頻繁に使っている人ももはやいないだろう。それも歌詞のメインでは無いのである。ラブソングのせつないシーンで「ポケベル」で連絡を待ったり、「公衆電話」を探したりと……。感想は「昭和だなぁ」でも足りない。
……。
まさか”平成”でも足りなくなる時代が来るとは。
「そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆ける君よ!」
超格好いい歌詞だが平成は本日、平成31年4月30日をもって終了し、令和へと変わる。野暮な事を言っているのは重々承知だが、令和になったあとこの「サバイバル」を聴くたびに、「ああ平成の時代の曲かぁ」と思ってしまう事は確実だろう。悲しいがこれが時代の流れである。発売当時の平成11年にはなかなか想像も付かなかった事だろう。作品の意欲作っぷりも鑑みるに、あまり気にせず歌詞に盛り込んだと思われるが、いや……、この歌詞本当に格好いいのでそこはスルーして堪能するのが正しい姿か。GLAYの「サバイバル」。”ミュージック・ビデオ”シングル、アニメーション作品、歌詞共々、平成の世に残る名作である。