#ガッキーかわいい
出典元、ツイッターやインスタグラムなどのSNSで使われるタグ。なんやかんやですべてをつつみこむ。
「ガッキー」というのはもちろん女優の新垣結衣の事である。「ガッキーかわいい」というのももちろん、「新垣結衣がかわいい」という意味である。そのまんまの意味ではあるのだが、問題はある。問題があってしまうという問題がある。というか……、つまりどんな新機軸の映画を作っても、どんな奇抜なドラマの脚本を書いても、ガッキーを出演させる事により視聴者の感想がすべて「ガッキーかわいい」になってしまう、という問題であり、現象である。
新垣結衣がかわいいのは事実だし、かわいいから出演してもらってそれを売りにしてたくさんの人に観てもらおう、という製作者側の思惑があるのは当然である。普通に考えたらウィンウィンである。しかしなんだろうな、パワーゲージで言うところの「ストーリー:4」、「独創性:5」、「時間帯:4」とかがあったとして、「ガッキーかわいい:37」とかになってしまうのである。他が消し飛ぶ。もちろん、皆の感想は4ぐらいの「ストーリーもいいよね」、5ぐらいの「結構珍しい感じ、オリジナリティあるよ」、4ぐらいの「この時間はこれだわー」、そしてそれら個々の7倍ぐらいの「それはともかくガッキーかわいい」である。制作側としては、まさに痛し痒し。
しかも困った事に、いやまったく困る必要は無いのだが、ガッキーも若い頃から毎年の様にドラマに出演していて現在29歳、十代の頃はアイドル的な人気を博していたが20代も中盤に差し掛かって来ると小娘では無くなるので上の世代からも「あの子いいよね」的な見られ方をしてくる。当然同世代からの受けもいいし、若い女性の憧れとしての存在でもあり続けている。たまに髪形を変えてイメチェンしたりするのだが、とにかく元がいいのでどれも似合う。もうアラサーと言っていい歳なのだが、まったく劣化がなく、今が一番かわいいのではとまで言われる始末である。つまりガッキーかわいい。ついでに言えばバラエティなどで見せるちょっとコミュニケーション下手っぽいところがまたいい味を出していて、その辺りのネガティブ面までがポジティブに受け止められ、受け入れられる層の幅が異様に広い。隙がない。
これでいいのだろうか、というレベルだが仕方ないのである。ありがたがって愛でるのが正しい姿勢である。2016年のドラマ、「逃げるは恥だが役に立つ」では通称「恋ダンス」がかわいすぎて日本中が悶絶した。このドラマに関しては話題性として結構「ガッキーかわいい」に振り切られないレベルに到達していたのではないだろうか。しかし結局のところ、星野源が作曲して出演して、共演して、やっと「ガッキーかわいい」の足を掴んだレベルである。ガッキーパワーな事に変わりは無い。
皆に愛されるガッキー、まだまだかわいさに衰えも見られないし、30代は30代でさらに上の層からの支持も増えてくるだろう。今後、スキャンダルなどに見舞われず、日本を代表する女優として邁進して行って欲しいものである。 #ガッキーかわいい