「たぶん後で寄付する」
出典元、ウィキペディアの寄付募集ポップアップの文言より。時々強制ポップアップ。
寄付強制、ではない。寄付募集の画面を大きく強制的に画面にポップアップした、その時の文言である。もちろん、寄付したければすればいいし、そのつもりがなければ「×閉じる」を押して閉じればいい。閉じるボタンの小ささには定評があるが……。「たぶん後で寄付する」とはなんだ。おそらくは、閉じるボタンを探している人に、間違えて押させる効果でも狙っているのだろう。これを押しても一応閉じる。が、一時的なものである。またすぐ表示してもいいように布石を打っているのだ。あざとい。ウィキペディアはいつからこんなにお金に困り、金銭至上主義になってしまったのだろうか。
……。
……。
昔からである。
少し前にも巨大ポップアップで寄付募集をしていた。謎の老婆だったり、謎のおっさんの写真を全面に出して寄付を募っていた。寄付を募っている以上、見るからにお金を掛けた広告は作れないので、おそらく社員を出演させたのだと思われる。知らないが。しかしおそらくモデルでもない、くたびれた人を強制的に見せられて、快く寄付する人がいるとでも思っていたのだろうか。そしてなぜ、ネット上で百科辞典の地位を不動のものにしているウィキペディアともあろうサービスが、閲覧者に不便を強いてまで赤字経営になっているのだろうか。訳が分からない。
まあしかし「メディア」と同じで、メーカーではないのに、物を作っていないのにお金になる、という仕事もある。情報を操りお金にする仕事もある。総合商社の様に会社と会社の間で何かして何だかんだでお金を持って行く仕事もある。ウィキペディアで言えば、ユーザーが書いてくれる記事を管理しているだけでお金を儲けられるか、といったところがポイントだったのだろう。記事を書いてくれるのはユーザーだから自分たちは儲からないでいい。志は良かったし、その忙しさも分からないではないので、中の人も大変だろう。しかしアクセスはあるのだから広告収入を得ればいいのに、それをしていない。寄付でやっていこう、と一度重大な決断を下した様であり、しかし、
そ の ザ マ が こ れ で あ る。
寄付募集の大々的キャンペーンは何度か成功したらしく、そのため繰り返し行われている様である。おそらく、かなりの頻度で表示される寄付募集に突発的に頭に来た大富豪が、逆ギレ気味に寄付したので成功したのだろう。知らないが。これだけ世界中の人に見られ、Googleで何かの名前を検索すればほぼ必ず20番以内には表示される、いや、ほぼほぼ2番目には表示されるサイトだというのに、そこにしつこくうるさいメッセージが表示される事に対する良心の呵責は無いのだろうか。広告は押さなければいいだけだが、強制ポップアップはとても多くの人々にひと手間掛けさせる悪魔の所業である。
まあしかし一番思うことは、閉じようと思って「たぶん後で寄付する」を押した人は、
「たぶん後でも寄付しない」
だろうな、って事だろうか。