「ポムッ、ポコッ?」
出典元、ゲーム「スーパーマリオ」シリーズで、マリオがノコノコなどを踏み、蹴飛ばした時の音。
ノコノコを一度踏み付け、頭と手足を引っ込めさせたらその後しばらくそれはマリオの武器となる。蹴飛ばせばその先にいるクリボーなどの雑魚どもを一斉に蹴散らしてくれる。通常なら画面内の敵が吹き飛ぶだけだが、平地の続くコースでこれをやった場合、マリオがこの甲羅に追走して画面を右にスクロールさせれば、もっとたくさんの敵を倒す事が出来る。とても爽快なプレイである。
そして甲羅は土管などの障害物では跳ね返る。調子に乗って追走し、跳ね返って来た甲羅に正面衝突してしまうのもお約束である。無論、正しくはジャンプで避ける事だ。初期の頃は甲羅は蹴飛ばすしか出来なかったが、「マリオ3」から一時的に持てる様になった。良く考えついたものだと思うが、これが戦略性を一気に上げ、ここのノコノコを使って甲羅をここまで運んで……、ここの敵を倒す、あるいはここのブロックを壊す、など横スクロールのゲームでありながら多彩な遊びを満喫出来る様になった。「マリオ3」で、コースを戻れるようになったのも大きい。そしてマリオ4である「スーパーマリオワールド」からは、持った甲羅を上方向へ飛ばせるようにもなった。もちろん持ったまま走れるし、斜めにジャンプしたまま上に投げる事も可能である。初心者には少し複雑に感じるだろうが、かなり「俺のマリオは自由自在」感がアップした事だろう。
しかし弊害は意外なところで現れる。マリオが面白すぎて、やりすぎると、夢にまで出てくる。まあ、そのぐらいは普通、想定内。現実世界にも影響があるのが問題なのだ。学校の授業中、教科書を読んでいるのだが文字が文字ではなくブロックの塊に見えてくる。ここに自分のマリオがいるとして、まずここで助走を付けて跳ぶ。で、ここに乗ったら、ここにノコノコがいたりして、
「ポムッ、ポコッ?」
踏み付けてその甲羅をこの穴に蹴り入れると、ドゴッ、ドゴッ、と落ちながら左右のブロックを破壊してくれる。そうするとここが通れるようになるから、下からブロックを破壊して、で、最後にここに上向きの土管があってゴールに繋がっている、と。よし、授業中だった。
と、まあこんな具合である。下手をすると教科書の1ページをコースに見立てて敵などを配置したくなってくる。おそらく「ブロックが壊せる」という要素がかなり、文章と段落の壊したくなる形とマッチしているのだろう。文章が改行もなく段落もない一つの塊なら、ここまでの発想は生まれない。罪な教科書、ではなく、罪なゲームである。