「2にしてくれたんだ」
出典元、不詳。どこかのゲーム関係者たちのセリフ。
ソニーのゲーム機「プレイステーション2」の名称が発表された際のセリフである。浜村通信からの伝聞かもしれない。「プレイステーション2」の発売は2000年3月4日なので、発表はその数か月前だろう。「次世代ゲーム機戦争」と呼ばれた任天堂、セガ、ソニーの戦いはこの時点で勝負は付いていて、ソニーの「プレイステーション」が覇権を握っていた。そしてゲーム機というものは5、6年で次のハードが発売される。各社そうだが、「プレイステーション」もそろそろ次世代機が見え隠れしていて、開発されている事はとっくに公表されていた。しかし名称は明らかになっていない。この場合、ゲーム関係者は開発コードならそれを、なければなんとなく呼ばれている通称を利用する。「プレイステーション」の場合は「プレイステーション2」である。
そして発表された次世代機の名前は「プレイステーション2」であった。読みは「プレイステーションツー」。各社、というかこの場合は開発者というよりもゲーム誌の会社側であろう、ああこれは、ありがたい。その気持ちを込めて、
「2にしてくれたんだ」
という感想が漏れた。
セガハードなどはコロコロ名前を変えるし、任天堂も「ファミコン」、「スーパーファミコン」、その頃まだなかった「Wii」、「Wii U」など似た名前を付けてくる事もあるが最終的には「ゲームキューブ」、「ニンテンドウ64」の様に飛ばしてくる事も多い。ここでソニーが「2にしてくれた」事で、分かりやすさの面で助かった人たちは多かっただろう。また、無印であるが「1」の後が「2」だった以上、その後も「3」、「4」と続くであろう事が予想され、実際そうなった。「4」の次もよっぽど酷い事が起こらない限り、「5」であろう。
この安心感には、「プレイステーション」というゲーム機が元々は任天堂と共同開発していたものだったので、次からは変えて来るかもしれない、という不安から来ていた部分もあっただろう。ただ、そこまで有名な話ではなく、トリビア的なものだったし、「プレイステーション」というブランドがもうとっくに世界的なものになっていたため、それを捨てることもないので「安定の2」にしたのだろう。
既に覇権を取っていた「プレイステーション」の次世代機として登場した「プレイステーション2」は、そこでさらなる飛躍を見せる。なんと言っても、なんと言っても、なんと言っても、「プレイステーション1」との互換性である。「プレイステーション2」は「2」のソフトだけではなく「1」のソフトも遊べるのである。これは「1」のユーザーにとって超嬉しい要素だし、これから買う側にとってほぼ選択肢をなくす圧倒的な要素であった。ハードの切り換わり時に困りがちの開発者側にとっても、終わるハードで開発していたソフトがそのまま新しいハードで遊べるという事で、とても喜ばしい要素だった。そして当時黎明期を迎えていたDVDのプレイヤーとしても使えて、専用プレイヤーより安いとまであって、売れに売れたのである。
ところでソニーの出した「プレイステーション・ポータブル」という携帯ゲーム機がある。略して「PSP」。後継機は「プレイステーション・ヴィータ」。略して「PS Vita」。携帯ゲーム機においては任天堂の「ニンテンドーDS」、「ニンテンドー3DS」が席巻しているため、馴染みのない人にとっては本当に馴染みがない。どっちが新しい方なんだっけ? と思う人も結構いるだろう。平たく言うと、
「2にしてくれなかったんだ」