「切り札」
出典元、日本語の表現。主に勝負事において使われる強力な奥の手。
漫画などでは特にバトルものの展開でよく使われる手法である。味方キャラが苦戦する、敵キャラがそんなものか、と余裕を見せる。しかしここで、勝ったと思い込んだ敵キャラの意表を突く技を味方キャラが使用し、逆転勝利する。よくある王道シチュエーションであるが、王道とは安定したハイレベルの楽しさを提供するから王道なのであって、よくあるからといって面白くない訳でもないし読者が望んでいない訳でもない。大体「あ、この展開だと逆転するな」と分かっていても、魅せ方でいくらでもスカッと爽快度合いは上げられる。そこで裏をかいて負けてしまう事もあるが、”読者の意表を付けばいい訳でもない”のである。王道展開と意外性のある展開を考える作者は、その辺りをよく考えて話を作るのだろう。ちなみに全く布石もなく唐突に強力な技を「切り札だ」と言って使ってしまうと、読者は白ける場合が多い。
「切り札」は、バトル漫画がとても分かりやすいが、しかし現実にも普通に使われている表現でもある。ただしやはり勝負事で使われる。野球では「代打の切り札」などと呼ばれてここぞという時に使われる打者もいるし、サッカーやバスケ、バレーボールでもスタミナに難点があるが要所で使われる選手は居るだろう。また、トランプなどでジョーカーをとっておきに手札に忍ばせておくのは、最強の手であるならば札だけに正に「切り札」である。「切り札」は隠し玉、最終手段、最後まで見せるな。
というのが一般論である。
が、ここで少々異論を突き付けたい。「切り札は……」という名言がいくつかあるが、それを取り上げなかったのもこれが理由である。往々にしてその名言は、”最後まで取っておけ”、もしくは”見せたとしてもさらに奥の手を持て”というものになるからである。それもひっくり返す。最後まで取っておけばいい場合ばかりでもないのである。
例えばオンライン対戦ゲームの多人数バトルで考える。複数対複数の戦いにおいて、「切り札」がかなり強力な一撃や、かなり強力な回復力を持っていたとする。こういう戦略バトルの場合、各自がそれぞれ役割を持っており、相互にフォローし合ってチームを組んでいる。一人でも欠ければ一気に形勢は傾く。しかしフォローし合っているので早々崩せるものでは無い。そして「切り札」は各自いろいろな種類の1種類を持っていて、使えるのはそのバトルで一回限りである。通常ならば基本に忠実に防御を固め、攻撃役が先陣を切る、押しつ押されつ削り合い、終盤に各所で「切り札」が飛び交う、そういう戦いになる。それが通常の戦い方であったとするならば。
開幕に一気に攻撃陣が相手の最も弱い回復役に、「切り札」を発動して集中攻撃するという作戦も考えられるのである。
もちろん布陣が崩れるのでこちらも横っ腹を突かれてダメージを負うだろう。しかしそれも作戦のうち、こちらの回復役も突っ込み、「切り札」の大回復を用いてなんとか相手の回復役を倒しきり、ややダメージを残しつつも引き返す。味方も無傷では済まないが、相手の回復役を落としてしまえばこれでもうほぼ勝負は付いてしまう。もちろんこの様な奇襲戦法は、相手の回復役も「切り札」を持っているので、凌ごうと思えば凌げるだろう。そういうバランスを考えられて大体のゲームはバランスを取って作られている。しかし、その回復役が「切り札は最後まで取っておくもの」という考えから抜け出せない場合、「あ、まずい、フォローして、まずいまずい、切り札使っていい?」と味方に聞きつつ倒される。一度しか使えないと分かっている「切り札」を使うには、その心構えも必要なのである。つまりこの例えで言うならば、
”切り札は最後まで取っておけばいいとも限らない”
のである。
その様なテクニカルな動きが可能で、システム的に許される造りになっているゲームは、プレイヤーも作戦の立てがいがあるし作戦会議すら面白い。なんでも出来ればいいという訳でもないが、相手の裏をかく頭脳戦にすら対応してくれる仕組みを持つゲームは、名作と呼ばれて然るべきだろう。