「最後に言い残す事はあるか?」
出典元、あらゆるバトル物フィクション作品で見られる表現。お決まりのセリフ。
大抵は一対一の戦いで、片方が戦闘不能になり、勝った方が生殺与奪の権利を持った状態で言うセリフ。シチュエーションとしては余裕を持った側の格好良い決めゼリフではあるのだが、現在このセリフには、”生存フラグ”が多大に乗っかってしまっているという問題がある。つまり大抵、横槍が入る。
入るんだろうなぁと思っていると本当に入る。もはや様式美と言ってもいいぐらいお決まりのパターンである。これが戦力に余裕のある側がやっているのならまだいいが、余裕がない側がやってしまうと、とっととトドメを刺せよ、と読者や視聴者に思わせてしまう諸刃の剣である。セリフが格好良いだけに残念感が残る。
しかしセリフだけ取り上げて考えてみると、「最後に言い残した事があるなら聞いてやる」、もしくは「伝えたい相手があるなら伝えてやる」となるため、え、それって今バチバチにやりあってた相手に対して随分優しい対応じゃないか、と思うものである。それならと、やたら長い最後の言葉を残したり、家族や複数の友人にそれぞれ遺す言葉の伝言を頼んだら、聞いてやる方はみんな伝えてくれるのだろうか。量が多いとメモを取らなければならなくなりそうだが、そんな場面になったらシュールさだけが残りそうな気もする。見てみたくはあるが。
あとは生殺与奪という意味では、特に歴史戦国物で敗残の将となり捕虜になってしまった際、このまま首を刎ねられても仕方ない状況での最後のセリフとしてはまた意味合いが異なって来る。しかしここもやはりお約束というものが存在し、最後に言い残した事を聞かれて情けなく命乞いをする人は容赦なく首を刎ねられる。しかし潔く負けを認め、最後にあなたの様な人と戦えて良かった、などと格好良く言うと命を助けられたりする。生殺与奪を握っている側の器の大きさに関わって来るが、概ね傾向としてはそうなっているだろう。フィクションでしか見ないシーンなので、作り手が存在するために発生してしまう”傾向”なのだろう。しかし当然逆のパターンもあり、部下を気遣い堂々と最後の言葉を述べ、そのまま処刑されてしまう者がいる横で、なんだか訳の分からない事を言ったら命を救われ、部下に登用されるという変なパターンも存在する。「蒼天航路」で見た。
そしてもう一つ関わって来る要素が、物語のどのぐらい進んだ場面で使われるか、というものである。映画の場合、序盤のシーンだったとしたら、生存フラグは大いに立っているだろう。しかし終盤、2時間に近いクライマックスでその様なシーンがあったとしたら、物語の終わりも近く、とどめを差されてしまう事が多いだろう。あまりそんな事を考えて見るものでもないと思うが、そもそも生存フラグが立ち過ぎているのが問題なので展開は裏切ったり裏切らなかったり、裏切らない裏切りを見せたりと、今後生まれて来る作品にはたくさんの選択肢があるだろう。そもそも使い過ぎのせいでこうなってしまったので、取り扱い注意のセリフとも言える。