「映える(ばえる)」
出典元、インスタグラムに投稿しがいのある被写体に対しての、感想。「インスタ映え(いんすたばえ)」の省略同義語。
「映える(はえる)」という日本語は元からあり、美しい景色などに対して使われてきた。しかしインスタグラムが流行り出して以降、インスタグラムに投稿しがいのある被写体を「インスタ映え(いんすたばえ)」する、という言い方が生まれ、同時に「映える(ばえる)」という表現も使われ出した。「インスタ映え(いんすたばえ)」を略しているので、これは「はえる」ではなく「ばえる」である。元からある「映える(はえる)」と比べると、意味はかなり近いのに明らかに違った使い方をされていて、しかし文字で書くとそのまま、というややこしい収まり方をした表現になっている。「は」と「ば」の違いなので、もしインスタグラムの中に「ば」の文字が入っていたらちょっと完璧だったが、…まぁ仕方ない。
この表現が特によく使われるのは飲食店の料理だろう。その店が元から出している食べ物を、一生懸命デコレーションして「映える(ばえる)」見た目にするのがまさにインスタ映えを狙った行為だが、普通に作っただけで元から「映える(ばえる)」料理もあるのである。飲み物で有名なのはタピオカミルクティーや、スターバックスのフラペチーノとかだろうか。食べ物で言うとデコレーションしまくったパンケーキやフルーツパフェなどが挙げられるが、実はどんな食べ物でも”メガ盛り”にしてしまえば「映える(ばえる)」ため、話題性を求めてそういったものを作り始めた店も多い。
しかし”メガ盛り”に関しては大食いとも紐付いてしまうため、大食いそのものが嫌いな人にまず睨まれてしまう。そしてチャレンジメニュー的な意味では、大食い出来ない人がそれを注文しても、「映える(ばえる)」写真を撮ったあと食べ切れない、イコール食べ残しという連想になるため、”食べ物を粗末にしてはいけませんルール”に則り批判の対象になりやすい。インスタ映えを目指すばかりにマナー違反をしてしまう行為には「インスタ蠅(いんすたばえ)」という名前が既に付いており、非常に嫌われている。ちなみにこういった行為をネットやSNSの普及と紐付けて非難したい人も現れがちだが、やっている事がビックリマンチョコと同じなので、時代やネットのせいではなく、その”人”の問題である。
ただ、問題は問題として存在しているが、問題を起こす場合のインスタ映えと問題を起こさない場合のインスタ映えは別なので切り分けなければならない。つまり食べ物を粗末にしてはいけないが、粗末にしないのなら綺麗に作ってもらう事になんの問題もないのである。”メガ盛り”に関しては一人用チャレンジメニューではなく、何人かで取り分ければいい。利用者がマナーを守って取り扱ってくれるなら、飲食店側はどんどん「映える(ばえる)」食べ物を作ってくれていい。インスタグラムが絡んでいようがいまいが、それにより外食のエンターテイメン度がさらにアップするのなら、否定する要素はないのである。
「映える(ばえる)」写真を見てその店に行きたくなる、店は「映える(ばえる)」料理に力を入れる、来店した客は料理も楽しみ「映える(ばえる)」写真をアップして注目を集める、という正の連鎖である。この現象は、元々あった日本人の料理へのこだわりと、ほっといても勝手に美しく盛り付けてくれる美的感覚がインターネットとフュージョンした事により発生した、一種の突然変異と言えるものなのかもしれない。