「この記事を読む時間は3分です」
出典元、ウェブ上の記事でたまに見かける文言。何かの機能ではあるのだろう。
へぇ、便利だなあ。そう書いてもらえると読むか読まないかの判断にも出来るし、よくこんなの考えたなぁ、文字数とかで割り出してるのかなあ、余計なお世話だなあ。……。
読みたい物は時間に関係なく読むし、後で読む物は後で読むし、読まない物は時間に関係なく読まないのである。さらに言えば今のご時世、検索して知りたい情報を探しに来るパターンが多い訳で、これが3分ならまだいいが15分とか書かれていたら全部読むのが選択肢から外れ、知りたい情報を書いてある箇所だけを探すという行動に移る。なので参考時間が関係なくなる。ウェブページ、特に情報ページは、全部読まないと気が済まない小説とは違うのである。
別に存在自体を否定するものでもないが、人によって読むスピードも違うし、内容によってはじっくり読まなければならないものもあるだろう。他の設定ページを操作しつつ流れに沿って読む必要のあるものもある。何分なんて決めつけられてもあてにならない。どちらかというと、書き手側からの「これぐらいで読めてしまうので読んでください」感が前に出すぎている、というか。気にしすぎでもあるが「誰基準だよ!」と思う気持ちもいなめない。速読派も顔真っ赤である。
読み手側の事を考えるなら、他にもサービス向上の余地がある。シンプルなところではカテゴリー分けやタグ付けである。「このジャンルの話をしています、この話題も出てきます」を確定させる。そうしておくことで読み手側の判断基準にすこぶる効果がある。情報を探しに来た人は単語をベースに検索しているので、文中にもだがタグも多めにいれてあげると効果的だろう。あとは文頭に軽く説明を入れてあげるのもいい。タイトルで分かるのが一番いいが。
まあネット世界も成熟してきたもので、いろんな事を考える人がいて、いろんなサービスが出てきたのだろう。「この記事を読む時間は3分です」にしても、悪く言っておいてなんだが、軽くイラッとしただけで、取り立てて悪いサービスでもない。おもてなしの心遣いを感じない事もない。考えた人は上手い事を考えたと思っただろうし、使っている人もいいなあと思って使っているのだろう。つまるところ、便利機能に埋もれすぎない様にしつつ、流行り、いや、流行るだけの価値のあるサービスは積極的に取り入れて行きたいものである。
※この記事を読む時間は2分です。