「そこをなんとか」
出典元、不詳。日本語でよく使われる表現の一つ。
ルールと、それに対する厳格度認識の個人差のお話。たぶん、関東人と関西人という区分けをしても、著しく異なる。
簡単なところでは値切り交渉だろうか。値段の付いているものは、いろいろな考えに基づきその値段で売られている訳で、ちょっとお願いされたぐらいで簡単に値引きしていたのでは商売あがったりだろう。そもそも無理な店、コンビニなどもあるし、チェーン店度が上がれば上がるほどそれは難しくなる。逆に個人経営の店で、店主の気持ち次第のところなら値引き交渉もありだろうし、値引き前提で売っている店などもある。それを楽しむフリーマーケットなどもあったりする。
しかしそこの上の乗っかってくる前提がその人の性格というものである。
「言ってみて損は無い」、確かにそうだ。しかし「言っても無駄」、その考え方もある。コンビニでジュースを買って「10円負けてくれませんか?」という人は居ないだろう。しかし街の雑貨屋で5000円ぐらいの小道具を買ったとしよう。消費税分ちょっとだけ足りなかった。そこで”足りないのは確実だから言わずに諦める人”と、”いや、頼めばこれぐらいいけそうだ”と頼む人とかいるのである。これは明らかにその人の性格だ。つまり店員から「お金が足りないね」と言われて、「そこをなんとか」と言えるか、言えないかである。やはりイメージとして関西人は言うだけ言ってみる感がとてもある。別に頼むだけなので悪い事では無いのだが、言ってしまえば「面の皮が厚い」。いや別に悪い事では無いのだが。
しかしそこで意外と通ってしまうのが駆け引きの妙というか、人と人とのやり取りというもので、相手が機械じゃない面白さとも言える。自動販売機は負けてくれない。もちろんそこには、例えばそこまでに商品について店員に聞いて雑談していたり、その雑談の中でなにに使うか具体的に共感のある話題が出ていたり、内容がお祝い事とか人助けになる事とか、ポジティブな内容だったりすると理由として大きくなるだろう。そしてもちろん人当たりの良さ。最低限の会話しかせずに、無愛想に買おうとしてお金が足りず、ブスッとして「ちょっと負けてよ」と言ってもなかなか通らないだろう。
こういう値引き交渉を楽しんだりする人もいるが、お金が足りない時はまた死活問題である。そこで生きてくるのが”相手も人間”という部分な訳で、それまで店員からどう見られていたかが大きく影響する。その時だけ愛想良くしてお願いしてもダメだろう。しかしお金が足りないなんて状況はその時にならないと分からない。つまり、初めから愛想良くしておけという話である。そしてもし行ける流れだとしても、負けてもらって当たり前だと思わないで、お願いする事。1円だとしてでもである。そういう後ろ暗い気持ちは雰囲気に出るものである。ダメなのは分かってるけど! もし可能なら! あなたのご厚意で! その気持ちが伝われば、その「そこをなんとか」は相手に伝わり、多少の値引きはしてくれるだろう。共感を得られれば、実際にその店員に権限がなかったとしても、自腹で払ってくれる事もあるだろう。それは単に、「いい話」である。
どんな時でもそう言える図々しい人になれとは言わないが、頭の隅にあってもいい考え方の一つではあると思う。買いたい商品がある。お金が足りない。普通は買えない。しかし、「そこをなんとか」とお願いしてみたら、もしかしたら負けてくれるかもしれない。その店員にとって、どうって事ない場合もある。前提として、店員に不遜な態度を取っていない事と、1円だとしても負けてもらって当然だと思わない事、があると思う。