「主語が大きい」
出典元、ネットでたまに使われる表現。しかし調べてみるといくつかの名前があるらしい。
「主語が大きい」とはつまり、自分の意見をさも”私たち”、”我々”の意見の様に言う事である。いくつかの名前の一つとして「太宰メソッド」というものがあり、太宰治の「人間失格」から、「世間が許さないぞ」と言う人に対し、「世間じゃなくてそれは君の意見じゃないか」というくだりについて付いた名称らしい。自分が言いたいだけの文句なのに「世間がそう言ってる」という言い方をするのは、ありていに言えば卑怯だという事だろう。しかし注意してテレビなどを見ていると、その論法を使う人は結構な数いる事に気付かされる。
漫画「さよなら絶望先生」でも取り上げた回があり、絶望先生が「主語のデカい人」として紹介している。クラスの一人がクラス一同の意見として出した希望を、クラスの一員である数人が知らなくて納得のいかない風で表現している。思慮深い人は気付くが、気付かない人はずっと気付かない、トリックの一つだろう。
もう一つ漫画から取り上げる。漫画「ワンピース」の、エースのセリフである。
「…”力”に屈したら男に生まれた意味がねェだろう」
ティーチこと”黒ひげ”との戦いでエース放ったセリフである。えーと。……。
言い換えると「男に生まれたなら”力”に屈してはいけない」になるので、つまり主語が「男」である。人類の半分に掛かっているため、非常に「主語が大きい」セリフである。都民どころでは無い。そうだな、男に生まれた以上、力に屈しては……、うーん。勝手に決め付けられても。まあ力が全ての大海賊時代のセリフか、とも言える。漫画でもあるし。そして。
非常に格好いいセリフでありエースも人気のあるキャラなので細かい事は言いたくないが、エピソードを振り返るとエースは”白ひげ”に屈しているのである。格好いいけどお前が言うなよ……、と思った読者もいた事だろう。「主語が大きい」セリフにはこの様なデメリットがある。勝手に代表して決め付けてしまうと、自分に返ってくる場合もあるのだ。自分が使う際には、注意されたい。ただやはり使う時に自分で気付かず使ってしまう場合と、悪意を持ってわざと使う場合があるので、どちらかというと使う本人というより、受け止め側の感じ方次第、という話もある。難しい問題である。
しかし知っている人は知っている。特に誰かを批判したい場合に「俺が気に食わない」だけの話を、「みんなが許さない」と気軽に使ってしまうと、「それみんなに確認したの?」と普通に反撃を喰らってしまうので、注意が必要な表現である。
本ページの情報は2023年3月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。