「ソーシャル・ディスタンス」
出典元、感染症対策の考え方の一つ。意味を英語から読み解こうとしても自力では無理なタイプの専門用語。
「ソーシャル・ディスタンス」、そのままの意味は「社会的距離」だが、使われ方としては「人と人との距離を取りましょう」となる。なんでわざわざカタカナ用語にしたのかという疑問も浮かぶが、「人と人との距離を取りましょう」に、なかなか上手い日本語キャッチフレーズが思い付かなかったか、もしくは世界的に使われ出したからそっちでいいか、という判断でもあったのだろう。
コロナ対策として「ソーシャル・ディスタンス」が重要と言われているが、その前提条件はなんとなく軽視されがちである。コロナには「無症状感染」というものがあり、現在症状が出ていなくても感染していて、その状態で人にうつしてしまう危険がある。自分が感染している可能性と、目の前にいる人が感染している可能性を常に意識し、もしそうだったとしても互いに感染させない施策が「ソーシャル・ディスタンス」なのである。外に出なければ感染しないのと同様、距離を取っていれば感染しない。
これが肝であり、コロナ自体の根本的な対策とも言える。もちろん、マスクや手洗い、3密などのエチケットは守った上の話だが……。それさえしっかりしていれば、県をまたいだ移動だろうが旅行だろうが問題ないのである。それさえしっかりしていれば。
緊急事態宣言が解除されて以降、「とにかく外に出るな」という方針は解除され、コロナにかからない様にしつつ経済を回すという、いわゆる”コロナと共存する”フェーズに入っている。外に出たらおしまいなのではなく、対策をしっかりしていれば感染は防げる。今言われている対策でダメならあらゆるところで無条件にクラスターが発生しているはずなので、そうなっていないという事は対策が効果的だという証拠である。
誰が感染していても大丈夫な様に、お店やイベント会場でも大変な努力をして、3密と「ソーシャル・ディスタンス」を満たす改装やルール作りをしている。レジにはシートで仕切りを付けたり、映画館で席の間を空けたりと、多少の不便は我慢して、どうにか営業するための努力である。それなのに、一部の店が「業種的に密接な接客があるのは仕方ない」とか、客側も「飲みに来て騒がない手はない」みたいな事をやっていては台無しである。地方では感染者が少ない影響から対策が全くされていないところもあり、そういった気の緩みと言うか油断が、感染者の減らない今の状況を招いているのだろう。つまり総括すると
”どうするべきか答えは出てるのに、守れてないだけ”
になってしまうんですけど。