「本当のファンは握手を求めてくる」
出典元、不詳。しかし、誰か芸能人のセリフ。
もちろんこのセリフの意味はもう一つのセリフとセットであり、それは
「そうでない人はサインを求めてくる」
である。芸能人も人気商売だから大変である。まあ、もちろん全てのパターンがこれに当てはまるとも限らないし、本当のファンは握手もしてもらいたいしサインも欲しい場合も多いだろうが、気持ちは伝わってくる。実際にその人と会えた嬉しさが握手に近いし、そのあとに家族や友だちに自慢したいのがサインに近いのだろう。まさに言い得て妙である。
芸能人も顔が売れて来ると、普通の日常生活が送れなくなり、それはそれで面倒かと思われる。おそらくではあるが、飲食店に行って店員に気付かれ、頼まれたらサインは書かないといけないだろうしバレた以上見られているので変な事は出来ない。今はSNSですぐに広まってしまうので、それこそちょっとした無作法が、カメラも回っていないプライベートなのにあっという間に日本中に広まってしまう。有名税という言葉もあるが、痛し痒しである。街に出る時は変装している芸能人が多いのはそういう理由が大きいだろう。その芸能人の格にもよるが、しかし格の違いによる扱いの違いもまた、ストレスの元であったりする。
有名どころは「紙ナプキンにサイン」だろうか。さすがに超有名な、テレビでよく見る芸能人を飲食店で見掛けたら、慌ててサイン色紙を買いに走るだろう。しかしそこに入って来るのが「格の違い」である。ちょっと見た事あるなぁ、たぶん芸能人なんだろうなぁ、名前は思い出せないけど……、せっかくだからサインでももらっておくか。残念ながら野次馬根性というか、そういう考えに到ってしまう人は多い。そしてそのぐらいだと、色紙を買いに走るほどでもない。そうなるとその辺にある紙……、「紙ナプキンにサイン」を頼んでしまうのである。
これは結構芸能人側では有名な話らしく、もちろん屈辱的な話だが断るとそれはそれで悪評が立つだろうし、つまりは単純に「嫌なお願い」である。芸能人と言ってもそのぐらいの扱いを受ける人は、例えばお笑い芸人であっという間に見なくなる様な人もいるし、スキャンダルで消えてしまう人もいる。「このぐらいの人なら……」とお願いする側の気持ちも分かるが、嫌な気持ちになるのも非常によく分かる。しかしそこで、嫌な顔一つせずに快くサインを書いてあげられる人が、大局的に見て器の大きい人であると言えるのだろう。ただし器が大きい事と成功する事はそれほど因果関係がない、のが悲しいところである。
教訓というほどの事でもないが、要するにそういう事である。一般人が芸能人とばったり遭遇するのは基本的に芸能人側のプライベートであろう。そこで「あ!」と思い、どう行動するか。それほど好きでもない人ならプライベートを尊重するべきであるし、無作法に無断で写真を撮るものでもない。そして、直接会えた事を飛び上がって喜ぶ様な大好きな人であれば、まず礼儀を持って「プライベートのところ申し訳ありませんが、もしよろしければ」、
「握手をしていただけないでしょうか?」
が、正しいファンの姿だと言えよう。もちろん断られても仕方ないし、断られたとしてもそれを言いふらさないのがファンとしての矜持である。