「たたき台」
出典元、主にビジネスシーンにおける日本語の表現。表現であり、実際にビシバシと叩く訳では無い。
会社などで企画を立ち上げる際や、個人でも創作物を作る際に用いられる。どちらかというと大人数のからむ企画などでよく使われるが、個人の創作物にも多角的視点というものはある。強引に説明するなら”ダメ出し上等の煮詰まってない試作”といったところか。
今度こういうプロジェクトを起ち上げよう、と会社の偉い人がまずぶち上げる事は多いだろう。特にこれまでやっていなかった異業種などで、初めて手を付ける場合は皆に経験もないため、アイデアの段階でふわふわしてしまう。打ち合わせをして、ホワイトボードにアイデアをまとめて行ったとしても結局のところ上手くまとまらず、アイデアの切れ端、問題点の列挙、担当の押し付け合いなど、迷走してしまう事も多い。こういう時に有用なのが「たたき台」である。いきなりドン! は難しいにしても、一回その迷走会議をやってしまったあとに、下っ端にでも「次回までに企画書のたたき台を作っておいて」とやってしまえば話は一歩前に進む。
「たたき台」は”完璧なものでなくていい”という前提があるので、命じられた下っ端は、ある程度情報は調べつつも、とにかくその企画に対して前の会議で出た意見を取り入れつつ、出なかった部分については「とりあえず適当に作ってしまう」。そこは雑でいいのである。そして次回の会議時に2、3枚の企画書を用意して、「ここはこうだよなぁ」、「これは絶対、こっちで行こう」などと好き勝手な意見をもらい、それを反映させて行く。この2回目の会議において、「たたき台」があるのとないのとでは進行具合のスムーズさにかなり違いが出る。それぐらい重要なものである。ちなみにその時点で無理に頑張っていいものを作ったとしても、どうせ修正の嵐を食らうので、「これは仮、これは仮」と思って作った方が精神衛生上よろしい。基本的にそういうものだし、上の人も好き勝手文句を言うものである。
さて個人の創作物においても「たたき台」の考え方は存在する。というより「初めのとっかかり」と言った方がいいかもしれないが。まず初めて挑戦する分野において、”とりあえず手を付けてみる”という行為は非っ常~~~に大切な事である。分かりやすい例を挙げると、使った事のないソフトを初めて使う時の腰の重さ、があるだろう。例えば初めて3DCGのソフトを使おうと思います、しかしソフトは買ってインストールしたものの使い方はまるで分からない。マニュアルも白黒で分かりにくいし、サイトで一から順に説明してあるところもない。そうだ、専門書を買おう。そして専門書を読む、ソフトを動かしながら……。正しい手順の一つであるが、意外とスムーズに行かない事の多い展開である。そう、ここで言う「たたき台」とは、つまりそのソフトを使って作ろうと初めに思ったものを、まずとりあえず丸でも四角からでもいいから作り始める事に手を付けてしまえ、という事である。まず使ってみる。そして次が分からない。それをウェブでも専門書ででも調べて、分かったら進めてみる。初期段階で、想定していたものとイメージが違っている事に気付けたなら儲けものである。その時点で修正出来るし、もしかしたら違うソフトが向いているかもしれないと気付く事も出来る。これは、専門書を丸々読んでから、満を持してソフトに手を出したあとに気付いた時より遥かにダメージが少ない。まあソフトなら主に専門書を読みながら操作もするだろうが、考え方としてはそんな感じである。
なので創作における「たたき台」とは”とりあえず手を付けてみる”事であると言っていい。「百聞は一見にしかず」ということわざがあるが、体験に勝る学習は無い。まずやってみて、そこから修正すればいいや、という考え方は、創作において持っておいた方がいい考え方と言えるだろう。