A「恨むならニュートンを恨めや」
B「ニュートンが発明したわけじゃないですからねー」
出典元、不詳。どこかの二人のやり取り。
少し危なっかしいフックに上着を引っかけていて、たびたび落ちる様な状況。そしてまた落ちた時のやり取り。
たまに思う、アメリカ人は本当にアメリカンな言い回しをするよなあ、の、関西人版である。なんでそう、パッとボケられるのだろうか。そしてボケ返しも素早い。頭の瞬発力が優れている。単に「まじめな発言」と「ボケる発言」の優先順位が違っているのだろうか。関西人はボケないと気が済まない、と言われるが確かにそんな気もする。それは勝手だが返しがマジメだと場がしらけるのは辞めてほしい。まあ、周りから聞いている分には面白いとも言える。ボケが上手いならそれでいい。
この会話の面白いところはもちろん、上着が落ちたらせめて「恨むなら引力を恨めや」なところ、「恨むならニュートンを恨めや」と言えるところである。思わず納得しそうになる。しかしニュートンも、そんな事で恨まれたら堪ったものではない。世界中から永遠に恨みを買ってしまう。偉人なのに。実際はニュートンでもなく、引力でもなく、その落ちやすいフックを恨むべきだろう。まあ、小さいフックに重いコートを掛けていたのなら本人の責任でもある。
しかし「ニュートンが発明したわけじゃないですからねー」と言われると、あっそうかと思う事も確かである。ニュートンはりんごの落ちるのを見て、万有引力の存在に気付いたのだ。エジソンが電球を発明したのとは訳が違う。ニュートンがいなくても万有引力はあったし、彼が発見しなかったとしてもいずれ他の誰かが気付いただろう。別に悪く言っている訳ではなく、そう思う。少なくとも科学技術が進んだなら見付けられた法則だろう。ニュートンが見付けなければ次点は天文学者辺りが見付けそうか。まあつまり、ニュートンに責任はないのである。
だからと言って現代に、電球が破裂して火事になっても、エジソンに責任はない。発見した責任とか言われると一瞬考えてしまいそうだが、ない事は確かである。そういう、相手にひとひねり考えさせてしまうボケが上手いボケだし、それを一瞬で思いつける人はやはり頭の回転が早いのだろう。テレビで見る関西芸人も面白いが、これは一般関西人のやり取りである。このぐらいのやり取りを一日に平気で何度もしているのだから堪らない。日々、鍛えられているのである。文化の違いというか、頭の構造の違いを感じる。