「嘘ではないが真実の全てでもない」
出典元、特になし。日常生活でも使われるが、ミステリーの常套テクニック、もしくは人を騙す手法、または高度な頭脳戦としても使われる。
正式名称があるかもしれないがそれは知らない。
業務上でも使われるところを見た事がある人はいるだろう。あまりポジティブな場面は思い浮かばないが、あるプロジェクトを会社で進めていたとする。社長はプロジェクトリーダーに、プロジェクトが滞りなく進んでいるかどうか質問する。プロジェクトリーダーは、「今のところ大きな問題もなく進んでいます」と答えるとしよう。そこで大丈夫そうだな、と判断するのが危険なのである。プロジェクトリーダーはなぜ単に「問題なく進んでいます」と言わなかったのか。実は小さな問題はいくつも起きていて火種になりかけているのではないか。「今のところ」というのは、重要なメンバーが辞めてしまう可能性が高くなっている、などの「今後まずい事になる」可能性を含んだ言い方だったのではないか。しかしこの返答は、「嘘ではないが真実の全てでもない」ので、虚偽の返答にはならない。
ミステリー小説の、特に叙述トリックを用いた作品でよく使われる手法だろうか。小説という、絵もない音もない字だけで構成される作品は、当然ながら字で情景や音を表現する必要がある。そして表現される情景は取捨選択される。登場人物の全ての動きや表情、場面の小物まで事細かに書いていたら話が前に進まない。しかしここで、話の展開上あっていいはずなのにあえて描写しない、もしくはどちらともとれる描写をして、読者をわざと勘違いさせる手法がある。それが叙述トリックである。一人称小説と三人称小説とでも違って来るが、基本的には作者と読者のだまし合いである。しかしそれはあくまでルール上の戦いで、「地の文」で嘘を言ってはいけない、というルールが厳然としてある。しかし「この人物が実は目が見えないので証人にはならない」が、描写しない、「叫び声が上がったが人の声だとは書いていなく録音だった」が、描写しない、「5人いたと書いて5人の会話が繰り広げられていたが4人は若者だが1人は寝たきりの老人だった」が、描写しない、など、相手の盲点を突く戦いである。騙せれば作者の勝ち、騙されなければ読者の勝ちだ。「嘘ではないが真実の全てでもない」。
騙すというと言い方は悪いが、欺しの手法、商法としても非常によく使われる。「この商品、普段はこれだけするものですが、今ならなんとこのお値段でご提供します!」。普段より安い事は確かだし、今だけその価格にする事も事実である。ただし、実はその商品の新バージョンがすぐ後に発売されたり、競合他社の製品の方が明らかに出来が良く、その会社は撤退するつもりだったものなら……、買う側も考えてしまうだろう。しかしこれも、「嘘ではないが真実の全てでもない」である。
この様な、主に頭脳フル回転の会話だが、フィクションで高度な頭脳戦が繰り広げられる作品に出会えると、考えた人はどんな頭してるんだ、と思うものである。しかしそれは、単に頭がいい人が作った作品というのもあるが、繰り返し繰り返し練られた末に出来上がった作品なんだ、と考えると、頭の下がる思いがする。