「カン、カン、カン、カン」
出典元、電車の踏切の警告音。結構深刻度の高い警告なのだが、人によって受け取り方に幅のある警告音である。
「車は急に止まれない」は有名だが、電車はもっと急に止まれない。さらに言えば車の事故は大変な事故もあるが、電車の事故はちょっとした事で大事故に繋がり、超大人数に迷惑が掛かるとても大変なものである。なので電車の運転手は踏切がちょっとでも危なければ早めにブレーキを掛けるし、電車というものはその一本がちょっとでも止まれば他の何十本もの電車に影響が出る。もちろんそれだけ電車が遅れれば数万人規模で困る人が出る。
にも関わらず踏切の警告音が鳴り始めてしばらくしてから飛び込んでいく人の、なんと多い事か。
歩きでも自転車でも、鳴り始めたら渡らないぐらいが丁度いいのではないかと思う。周りの迷惑もあるが、もちろん自分の命に関わる問題でもあるのである。踏切はつまり電車の線路の上を通る。舗装された歩きやすい道でもないし、靴が挟まる要素も自転車が転ぶ要素も普通にあるのである。自動車は通り抜けた先にスペースが空くまでは絶対に進入してはいけないというルールまで決まっている。つまり自動車の方がまだ安心であり、しっかりしている。そしてもちろんしっかりしていないのは歩行者であり、自転車であり、子どもであり……、残念ながら年齢層は普通に立派な大人からシニア世代まで全然安心出来ない。むしろ足腰の弱って来ているシニア世代の方が判断が雑に思える。待ち時間があるとはいえ、通過に時間が掛かると分かっているのなら警告音が鳴り始めたら次を待つべきである。それが分かっていないのが大人なのだとしたら、その大人を見て育つ子どもも分からないのは仕方がない。が、仕方がないで事故が起きても困るので、そこは学校ででも教えておいてもらいたいものである。
踏切が開く時間は長い時と短い時がある。それが問題の原因の一つだろうし、それを表示しない、あるいは出来ない事も、大いなる課題だろう。つまり、短いと分かっていれば次を待って先頭に立って最短の時間で渡ろうという意識になるが、長いのかもしれないと思っている場合はその意識が生まれないのに、その判断材料がないのである。
事故では無いが結果的に事故的な状況になってしまうという事もある。混んでいる踏切で、松葉杖をついた人が精一杯急いで渡ろうとしていた時、あと少しのところで踏切内で転んでしまった事があった。焦りもあったのだろう。松葉杖には相性の悪い足場でもある。その人は手こずりつつも立ち上がり、渡り切ろうとしていたが、カバンも落ちてしまい、そこで遮断機が下りてしまった。一瞬間があったが、さすがに事態が事態だし周りに人も多かったので、その時はちょうど男子学生たちがいたので戻って肩を貸し、女性が荷物を持ってあげて、松葉杖の人は無事に踏切を通過し、お礼を言って去って行った。微笑ましいエピソードである。
が、遮断機が下りてしばらく踏切内に人がいた事は確かなのである。つまり駅員側からすると、安全確認が必要な状況であった。電車は一時止まり、駅員の安全確認が入る。しかし当事者が既に去っていたため、おそらく「なんか危なかったぞ」しか駅員は把握出来ていなかったのだろう。聞き取りをすれば目撃者は多くいたはずだが、それもなく、その踏切は30分近く開かずの踏切となった。運悪く高架橋もなく、人も車も大渋滞となってしまったのである。遮断機が下りて電車が来る前に通過したにも関わらず、状況によっては平気で大変な事態になるという一例である。
高架橋のない踏切も多いし、日常的に特定の時間はやたらと待たされる踏切もある。しかし一時の判断ミスが命に関わるしそうでなくても大勢への迷惑に繋がる。
「カン、カン、カン、カン」
軽視されがちな警告音とシステムだが、特に教育する立場の人には、決して油断しないよう、啓蒙して欲しい日常に潜む危険エリア。それが踏切である。