「はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る」
出典元、石川啄木「一握の砂」より。「猶」は「なお」と読む。
もう重い気持ちにしかならない一句である。「ぢっと手を見」たところで何も解決しなかったのだろう。新聞社で働いていたというし名前が残っている人なので、お金を持っていそうなイメージだが実際にはそんな事もなく、これもまた名前の残っているような人物から借金を繰り返し、しかし過労により石川啄木は26歳でこの世を去った。元々体が弱かった様だが、それにしても若すぎる。そう考えるとやはり重い。
今で言うと「ワーキングプア」だろうか。働いているのに貧乏状態が続く事を言う。石川啄木に関しては一家を養っていたので少し事情が違うかもしれないが、地方から上京して仕送りもなく独り暮らしを始めた若者に起こりやすい。そこで正社員として働き始めるのなら違うのだが、ミュージシャンか何かの夢を持ってアルバイト生活になったりするともう、お金に余裕など生まれない。なにせ地価の高い東京で家を借りなければならないし、光熱費も食費も掛かる。アルバイト代なんてほぼそれで飛んでいくし、昼はカップラーメン、自宅では格安スーパーで買った食材での自炊になるだろう。しかしミュージシャンなどはライブ活動があるのでフルタイムで働く事も難しく、アルバイト、パートタイムで働かざるを得ず、しかしそこで成功する人もひと握りという事もあって、まあ茨の道である。
音楽不況の昨今、ミュージシャンを目指して上京する若者がどれくらいいるか分からないが、住む家や仕事先だけでも何か伝手を頼りにしなければ、まさに「ワーキングプア」まっしぐらである。シェアハウスとまでは行かないが、気の合う友達と同居ぐらいは妥協した方がいいかもしれない。漫画家やイラストレーターを目指して上京、とかにも同じ事が言える。最近では福岡など東京以外の都市部で描いている漫画家などもいるようだが、基本的には大企業の本社は東京にあるので、利便性のため東京に呼び出される。そしてそれはすぐには本業にならない。声優なども有名作に何作か出ても、よっぽどの売れっ子でない限りアルバイトをしながらの生活を送っていると聞くし、アメリカンドリームならぬトウキョウドリームは無いのかと感じてしまう。男女差もあるが。
情報化社会の現代、昔からの夢だった、しかし不安定な職業に飛び込むのなら、「ぢっと手を見る」だけでなく、情報を集め、頭を使い、知恵を絞り、伝手を頼り、しかし変な情報に騙されない様にしつつ、上手い事やって行くしかないのだろう。多少はネットで名を売ってから動いた方がいいかもしれない。