「新撰組」
出典元、幕末に存在した実在の団体の名前より。「新撰組」、もしくは「新選組」。
表記として「新撰組」と「新選組」のどちらが正しいのかという話になりがちだが、どちらも正しい。当時どちらも使われていたからである。隊員本人の直筆が残っており、そこにどちらかの漢字が使われている。じゃあそれが正解じゃん、となりそうだが、実は当時の人たちは正しい漢字というものにそれほどこだわっていなかったらしく、つまり時によって「新撰組」と書いたり「新選組」と書いたりしている。つまりどちらも正しい。では現代においてどちらがよく使われているかになると、好きになってすぐの人たちは”普通の「選」じゃないんだよね”と好んで「新撰組」表記を使用し、より詳しくハマっていった人ほど”分かっていて敢えてこっちで書くんだぜ”的に「新選組」表記を使う傾向がある。本当にすいませんでした。
「新撰組」が、なんだか格好いい存在で京都で戦っていた事は広く知られているが、実はどういう立ち位置の組織だったのかをよく分かっていない人も多いのではないだろうか。桂小五郎や坂本竜馬と敵対する立場って事は、桂小五郎って政府の重鎮になってたから、つまり「新撰組」は悪の組織なの? でも堂々とした陣地があった気がするし、あれ……? といった話である。油断すると大人になってもよく分かっていないままになってしまうので、子どもにはよく教えてあげよう。「勝てば官軍」という言葉があるが、「新選組」は官、つまり政権側の幕府側の組織であり、正義の組織だった。政権に楯突く桂小五郎などを追い回していたが、そこはまさに時代の転換点、明治維新が起こり、その官が幕府から新政府へ入れ替わってしまった。そうなるとつまり幕府側の「新撰組」は官ではなくなってしまったため、悪の組織になり新政府から追われる立場になってしまったのである。「勝てば官軍、負ければ賊軍」。
時代としては太平洋戦争より前の日露戦争より前の明治維新の話なので大昔なイメージがあるが、明治維新は153年前でありそれほどべらぼうに昔という事もない。解散したあとも生き残った隊員に会った事があるおじいさんおばあさんがいても不思議ではない程度の昔である。しかしイメージというものは口伝よりも往々にして”ヒットした創作”に引っ張られるため、彼らを史料でしか知らない人の想像で作ったイメージが、日本人の共通認識になっていたりするから困ったものである。だいたい司馬遼太郎のせい。司馬遼太郎の書いた「新撰組」のキャラクター像があまりにも格好良かったため、それを真似して多数の創作作品が作られる。それらがテレビドラマになり、お茶の間で放送されればそこでもう勝負は付いてしまう。まあ、格好いいならいいんじゃないか、という話もあるが、まともな言動をしていたのに毎回敵役(かたきやく)にされている人もいるのでそこは多少可愛そうである。だから子孫とか生きてるんだってば。
最近はさらにカオスな事になっており、人気のある隊員がゲームのキャラクターとして使われたり女キャラにされたりと、知名度は抜群なのに著作権がないからとやられたい放題である。やりすぎるとさすがに怒られると思うが……。大ヒットした漫画「銀魂」では、SFファンタジーな世界観ながら新撰組を出し、”名前そのままだと怒られるから”と名前をもじってキャラクターを使っていたら「銀魂」自体がかなり有名になってしまい、歴史のテストに新撰組の隊員を「銀魂」キャラクターの名前で書いて間違える生徒が続出するなど、問題児っぷりが半端ない。土方十四郎、沖田総悟、うーん。そして斉藤一は往年の人気作、「るろうに剣心」のイメージがガッツリ付いてしまっているという、ドラマだけでなく漫画からも攻め込まれ、食い散らかされていると言ってもいいだろう。
歴史上のどんな組織が、どんな人物がどんな扱いになるか分かったものではない。前知識なく「しんせんぐみ」と聞いたとしたら、「新鮮な組?」となりそうな名前なのに、もはや固有名詞として確立され過ぎていて、そんな事にもならない。沖田総司、そうじ……名前が掃除? もはやそんな事も言われない。幕末がちょっと異常なのか。坂本竜馬のカリスマ性は雲を突き抜けているし、人斬り以蔵もなんだかすごい人みたいな事になっている。そして、問題は、現代の受け取り側が「まあ事実とはちょっと違うかも知れないけど格好いいし、いいか」という、懐の広過ぎる受け止め方をしているところ、だろうか。